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生死卍巴
せいしまんじどもえ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「国枝史郎伝奇全集 巻四」 未知谷
1993(平成5)年5月20日
初出「雄弁」1928(昭和3)年9月~1929(昭和4)年8月
入力者阿和泉拓
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-02-13 / 2014-09-18
長さの目安約 188 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

占われたる運命は?

「お侍様え、お買いなすって。どうぞあなた様のご運命を」
 こういう女の声のしたのは享保十五年六月中旬の、後夜を過ごした頃であった。月が中空に輝いていたので、傍らに立っている旗本屋敷の、家根の甍が光って見えた。土塀を食み出して夕顔の花が、それこそ女の顔のように、白くぽっかりと浮いて見えるのが、凄艶の趣きを充分に添えた。
 その夕顔の花の下に立って、そう美女が侍を呼びかけたのであった。
「わしの運命を買えというのか、面白いことを申す女だ」
 青木昆陽の門下であって、三年あまり長崎へ行って、蘭人について蘭学を学んだ二十五歳の若侍の、宮川茅野雄は行きかかった足を、後へ返しながら女へ云った。
「買えと云うなら買ってもよいが、運命などというものはあるものかな?」
 云い云い女をつくづくと見た。女は二十二三らしい。身長が高く肥えていて、面長の顔をしているようであった。どこか巫女めいたところがある。
「はいはい運命はございますとも。定まっているのでございますよ。あなた様にはあなた様の運命が。私には私の運命が」
「さようか、さようか、そうかもしれない。もっともわしは信じないが。……ところで運命は、なんぼするな?」
「それではお買いくださいますので。ありがたいしあわせに存じます。はいはい、あなた様の運命の値段は、あなた様次第でございます。一両の運命もございますれば、十両の運命もございます」
「なるほど」と茅野雄は苦笑したが、
「つまりは易料や観相料と、さして変わりはないようだの」
「はいはいさようでございます」と女の声も笑っている。
「それではなるだけ安いのにしよう。一分ぐらいの運命を買いたい」
「かしこまりましてございます」
 こう云うと女は眼をつむって、空を仰ぐような格好をしたが、
「山岳へおいでなさりませ。何か得られるでござりましょう。都へお帰りなさいませ。何か得られるでござりましょう。それが幸福か不幸かは、申し上げることは出来ません」
 ――で、女は行ってしまった。
(浮世は全く世智辛くなった。何でもない普通の占いをするのに、運命をお買いなさいませなどと、さも物々しく呼び止めて、度胆を抜いて金を巻き上げる。男でもあろうことか若い女だ。昼でもあろうことか更けた夜だ)
 茅野雄は、苦笑を笑いつづけながら、下谷の方へ歩き出した。そっちに屋敷があるからである。
 ここは小石川の一画で、大名屋敷や旗本屋敷などが、整然として並んでいて、人の通りが極めて少ない。南へ突っ切れば元町となって、そこを東の方へ曲がって行けば、お茶の水の通りとなる。
 その道筋を通りながら、宮川茅野雄は歩いて行く。女巫女の占った運命のことなど、今はほとんど忘れていた。
(仕官しようか、浪人のままでいようか)
 この日頃心にこだわっている、この実際的の問題について、今は考えているのであった…

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