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暖地の冬から山国の春へ
だんちのふゆからやまぐにのはるへ
作品ID43593
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「新潮 第五十一巻第三号」1954(昭和29)年3月1日
入力者門田裕志
校正者大野晋
公開 / 更新2005-01-02 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は今湘南小田原の海岸近くに住んでゐるが、予期した通りの暖かさで、先日の大雪の日も、東京で無理をして品川からやつと電車を拾ひ、日が暮れて小田原の駅を降りると、驚いたことに、うつすらとしか雪の降つた形跡がない。
 梅の花も熱海や湯河原より少しおくれるだけで、二月にはいるともう見頃はとうに過ぎて、城跡の公園は朝から霜どけの道に悩まされるくらゐである。
 散歩の途中、住宅街の裏通りなどで、植込みのなかに夏蜜柑の黄に色づいたのを見かけると、土地に馴れない私は、つい、季節の錯覚に陥る。
 この調子だと、今年は冬を知らずにしまひさうだ。贅沢な文句を言ふやうだが、その代り、たまに東京へ出ると、寒さが身に沁みて、なるほど、これが冬といふものかと、今更らしく感心してゐる。
 医者の忠告で、去年の冬から寒い間だけ暖地を転々と歩いてゐるわけだが、かういふ生活にも少々飽きて来た。小田原は仮住居の不自由――例へば必要な書物を手許に揃へておけないこと――を除けば、たいへん住み心地がいゝ。気心の知れた人出入りも楽しみのひとつになつた。
 はじめ私が小田原に眼をつけた因縁は、かつて詩人三好達治君がこの地に居を構へ、時をり自然の美しさ、穏やかさを私に漏らしたことがあつたからで、それを覚えてゐて、私が突然、小田原で家を探してくれる人はないかと、相談をもちかけたのである。三好君は困つたに違ひないが、早速、土地ッ子の歌人鈴木貫介君を私に紹介してくれた。
 この鈴木君は大きな蜜柑山の主で、なかなかしつかりした歌は詠むが、借家のことには一向不案内であることがわかり、私は二重に悪いことをしたと思つた。
 しかし、もう今では、そんな詫びを繰り返す必要もないほど親しい間柄になり、この間は、同君を生れてはじめての芝居見物に誘つた。
 芝居といへば、この小田原には、北条秀司氏も数年間居たことがあるさうで、同氏の指導と庇護を受けたアマチュア劇団の人たちから懐旧談を聞かされることがある。言ひ漏らしてはならぬが、私の現在の住居は庭を隔てて西側に缶詰工場があり、その騒音と臭気が困りものだといへば困りものだが、会社側は工場長はじめ、たいへん礼儀正しく物わかりがよく、結局、こちらが我慢をするか、ほかへ移るかしなければ解決がつくまいと思はれる形勢である。かうなると、人権擁護といふこともなかなかむつかしい問題になる。
 さて、私の健康もほゞ恢復したらしいので、ぼつぼつ仕事を始めるつもりでゐるが、まづ手始めに、文学座三月公演のゴーリキイ作「どん底」の演出を引受けることにした。かねて興味をもつてゐた「『どん底』の『明るさ』」といふテーマと、今取つ組んでゐる最中である。それにつけても、ゴーリキイがこの舞台のために撰んだ季節は早春である。この小田原などでは想像もつかぬ長い長い暗黒に閉された冬からの解放の季節である。私は、どうしても日…

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