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阿片の味
あへんのあじ
作品ID43617
著者南部 修太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「文藝市場」 文藝市場社
1926(大正15)年6月1日
初出「文藝市場」文藝市場社、1926(大正15)年6月号
入力者小林徹
校正者富田倫生
公開 / 更新2004-12-02 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 秦の始皇が不老の藥を求めた話はもうあまりに人口に膾炙してゐるが、この不老とは單に長生きをすると云ふ意味でなしに、老いてなほ色欲の享樂に堪へ得る旺盛な體力を求めるのが根本である事は云ふまでもあるまい。とにかくその色欲の享樂と云ふ點で古來支那人ほど工夫を凝らし頭をひねつた物はないらしい。是は一つはさう云ふ享樂に向く國情のせゐもあらう。一つは體力のせゐもあらう。一つは何にでも徹底的な性情のせゐもあらう。見方によれば支那人は色欲と賭博のために生きてゐると云つても差し支へない。自然都市の到る處に色欲の享樂機關の豐富なのは驚くほどだが、それに伴ふ催欲的な存在物、つまり春本だとか、[#「、」は底本では「。」]春藥だとか、催欲目的の酒だとかが非常に多い。そして、世界的な珍味佳肴と云はれる支那料理の如きも、その調理法には催欲のためと云ふ事が念頭に置かれてゐるらしい。
 東京や横濱、神戸、大阪などで、私は度々支那料理を食つてみた。そして、そこには純粹の北京料理だとか廣東料理だとか銘打つたのもあつたが、水のせゐか、氣候のせゐか、すべてがどうも多少の日本化を免れてゐない。氣のせゐも恐らくあらうが、本場のとはどこか違つた感じがする。[#「。」は底本ではなし]それに甚だをかしい告白だが本場の北京、天津、上海、杭州、乃至は奉天などで支那料理を食つたその晩やその翌日なりは、私は、いつもとなく色欲の興奮を感じさせられた。[#「。」は底本ではなし]或は本場のには日本では使へないやうな何か特別な材料でも使つてあるのかも知れないが、これは日本で支那料理を食つた場合にはそれほどはつきり意識的には來ない。實際北京の正陽樓や小有天あたりで正式な支那料理を食ふなどは、君子人にとつてはちつと險呑な事だと云へぬでもない。[#「。」は底本ではなし]
 處で、阿片なども支那へ行つて通な人から實際の説明を聞くまでは、普通の煙草と同じやうに吸飮そのことに深い享樂があるのだと想像してゐたが、これも初めの内や極端な中毒状態にはひつてからは別として、適度の吸飮は非常な催欲手段となるらしい。さう云へば、大概の阿片窟には阿片吸飮を世話する若い女がゐること、日本の徳川時代の或る種の風呂屋の湯女の如く無論その正體は賣笑婦なのだ。[#「。」は底本ではなし]
 その阿片を、私は上海でただ一度生れて初めて吸飮してみた。三ヶ月の支那旅行を終つて、いよいよ明日は日本へ歸ると云ふ前夜、向うで知り合つた二三の友人と別宴を交し可成り醉つてゐた處を例の黄苞車でぐるぐる引きまはされたあとなのでどこのどう云ふ處にあつたのか覺えてゐないが、とにかく法租界の暗い裏町にある二流どこの阿片窟だ。勿論それは支那の、而も惡の都上海でも御法度の家で、友人の案内を受けながらまつ暗な狹い路次を曲り曲つてやがてはひつたのが私人の宅らしい感じの二階建、如何にも探偵小説めい…

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