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自分の変態心理的経験
じぶんのへんたいしんりてきけいけん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「文藝市場」 文藝市場社
1926(大正15)年3月1日
初出「文藝市場 特集「妖怪研究」」文藝市場社、1926(大正15)年3月号
入力者小林徹、小林聡美
校正者富田倫生
公開 / 更新2004-12-02 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 妖怪と云ふものが昔の妖怪話の妖怪畫などに現はれて[#「現はれて」は底本では「現はて」]ゐるやうな異樣、奇怪、凄慘などの極端に誇張された存在でない事は、少くとも客觀的存在でない事は、今更ら云ふまでもない話であるが、これを精神上の一種の主觀的存在、云ひ換へれば、人間の幻覺或は錯覺としてみる時は確にあり得るもののやうに思はれる。と云ふのは、私としても心身が變態的な状態にあつた時にはそれらしい存在を二三度經驗した事があるからだ。その一度は大正七年に重い流感にかかつて危く死ぬ處だつた高熱往來の最中に、どう云ふ因縁だか、私の寢てゐた部屋の縁側の障子があいて(無論これは幻覺的にあいたので、實際にあいたのではない)島村抱月さんの姿が見えた。抱月さんはあとで聞けばその二三日前に死んだのであるが、私は抱月さんその人を見たのは、その二月ほど前に牛込の藝術座の廊下で遠見に姿を見たのが初めてでまた最後で、無論何の面識も持たない人だつたのである。で、その高熱往來の夢うつつの境に母か妹かに抱月さんが死んだと云ふ事を聞かされでもしたのが一つの暗示になつたのかも知れないが、とにかく夜半だつたやうに記憶する。突然障子があいたやうな氣がしたかと思ふと紋着羽織に袴をつけた抱月さんが、例の朝鮮髭をはやした頬のこけた、思索家的な奧深い光を持つ細い眼をした顏を靜かにその間から現して、どう云ふ譯だか何の詞もなく、蒲團の袖に鼾つくやうにして丁寧に頭をさげた。部屋には母も妹もゐなかつたやうに思ふ。私は何となくひやりとして、もう一度見直すやうに振り返つたが、もうその時は何の影も見えなかつた。その二三日前に死んだと云ふ事實があつたにしても、私にとつては全く縁もゆかりもなかつた抱月さんが、どうして私のそんな幻覺になつたのか今以て判斷がつかない。とにかく變てこな經驗の一つだ。
 一度はこれも十七の歳に重症の腸チブスにかかつて、赤坂の今は順天堂分院になつてゐる共愛病院と云ふのにはひつて、この時も九死に一生を得たのであつたが、同じやうな高熱來の最中に、私の寢てゐる蒲團の上に、歌舞伎芝居に出て來る黒子と云ふ風體の人間が、それこそ誇張なしに百人も二百人もひしひしのしかかつて來たのだ。無論黒子だから顏なんぞ一つだつて見えやしない。また何のためにそんなに大勢のしかかつて來たのか分らないが、何しろ重さで息が止まりさうに苦しいのと、大波が眞向から押しかぶさつてくるやうな恐ろしさとだ。私は「あつ、あつ……」と、息がつまりさうな聲を絞つて、寢臺の横下に寢てゐた看護婦を呼び起した。やつぱり夜中の事だつたと思ふが、刹那の錯覺ですぐ消えてなくなつた。然し、體にはびつしより汗をかき、息をはあはあ喘がせてゐた。夢の中にもそんな經驗はよくあるが、それはもつと實在的な錯覺だつた。その苦しさ、恐ろしさは今でもまだ忘れ難い。
 一度は、これは自分自身の…

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