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余裕のことなど
よゆうのことなど
作品ID43637
著者伊丹 万作
文字遣い新字新仮名
底本 「新装版 伊丹万作全集2」 筑摩書房
1961(昭和36)年8月20日
初出「新映画」1944(昭和19)年6月号
入力者鈴木厚司
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-08-29 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 近ごろの世相は私に精神的呼吸困難を感じさせることが多い。しかし、日本人がもしも本来の大和心というものを正しく身につけているならば、世の中が今のようにコチコチになつてしまうはずはないのである。
 たとえば直情径行は大和心の美しい特質の一つであるが、近ごろの世の中のどこを見てもそのようなものはない。
 直情径行といえばすぐに私は宇治川の先陣あらそいでおなじみの梶原源太景季を想い出す。
「平家物語」に出てくる人間の数はおびただしいものであるが、それらの全体をつうじてこの源太ほど私の好きな人間はいない。
 だれでも知つているとおり、源太は頼朝が秘蔵の名馬生食を懇望したがていよく断られた。そしてそのかわりに生食には少し劣るが、やはり稀代の逸物である磨墨という名馬を与えられた。源太はいつたんは失望したが、しかし生食が出てこぬかぎり、味方の軍勢の中に磨墨以上の名馬はいないので、その点では彼は得意であつた。
 源太はある日駿河浮島原で小高い所にのぼり、目の前を行き過ぎるおびただしい馬の流れを見ていた。
 どの馬を見ても磨墨ほどの逸物はいないので彼はすつかり気をよくして上機嫌になつていた。するとどうしたことか、いよいよおしまいごろになつてまさしく生食にまぎれもない馬が出て来たのだ。
「馬をも人をもあたりを払つて食ひければ」と書いてあるくらいだから、何しろ手のつけられない悍馬であつたことは想像に難くない。首を反つくりかえらして口には雪のような泡を噛み、怒つた蟷螂のように前肢を挙げ、必死になつて轡にぶら下る雑兵四、五人を引きずるようにして出て来た。
 源太は思わず目をこすつた。いくら目をこすつてもこれだけの馬が生食のほかにあるわけがない。
「こらこら、奴! それはだれの馬だ」
「佐々木殿の馬でございます」
「佐々木は三郎か、四郎か」
「四郎高綱殿」
 これを聞くと源太は思わずうなつて、
「うーむ、ねつたい!」と言つた。このねつたいがたまらなくいい。正に直情径行の見本のごとき観がある。このねつたいを衆人環視の中ではばからずに言える源太、緋縅か紫裾濃かは知らぬが、ともかくも一方の大将として美々しい鎧兜に威儀を正しながら、地位だの格式だのとけちけちした不純物にいささかもわずらわされることなく平気で天真を流露させることのできる源太。このような源太に対する讃嘆の情を私はどう説明していいかを知らない。
 するとそこへ当の佐々木が出て来た。
 今まではただねたましいだけであつたが、佐々木の顔を見たとたんに源太は無性に腹が立つてきた。あれほど懇望したのに御大将は自分にはくれなかつた。そして、だれにもやることはできないと言つたその馬を現に四郎がやすやすと手に入れているのはいつたいどうしたことだ。主君に対する恨みと四郎に対する怒りとがごつちやになつて燃え上つた。次第によつては四郎と刺しちがえて死ん…

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