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わが妻の記
わがつまのき
作品ID43638
著者伊丹 万作
文字遣い新字新仮名
底本 「新装版 伊丹万作全集2」 筑摩書房
1961(昭和36)年8月20日
初出「りべらる」1946(昭和21)年4月号
入力者鈴木厚司
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-08-29 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        素姓

 中学時代の同窓にNという頭のいい男がいた。海軍少尉のとき、肺を病つて夭折したが、このNの妹のK子が私の妻となつた。
 妻の父はトルストイにそつくりの老人で税務署長、村長などを勤め、晩年は晴耕雨読の境涯に入り、漢籍の素養が深かつた。
 私の生れは四国のM市で、妻の生れは同じ市の郊外である。そして彼女の生家のある村は、同時に私の亡き母の実家のある村である。だから、私が始めて私の妻を見たのはずいぶんふるいことで、多分彼女が小学校の五年生くらいのときではなかつたかと思う。

        健康その他

 結婚以来、これという病気はしないが、娘時代肺門淋巴腺を冒されたことがあるので少し過労にわたると、よく「背中が熱くなる」ことを訴える。戦争中は激しい勤労奉仕が多く、ことに私の家では亭主が病んでいるため隣組のおつき合いは残らず妻が一手に引受けねばならず、見ていてはらはらするようなことが多かつた。家の中でどんなむりをしても外へのお義理を欠くまいとする妻は激しい勤労のあとでは決つて二、三日寝込んだ。こんなふうでは今にまいつてしまうぞと思つているうち、妻より先に日本のほうがまいつてしまつた。
 身長は五尺二寸ばかり。女としては大がらなほうである。
 きりようは――これは褒めても、くさしても私の利益にならない。といつて黙つているのも無責任である。だが――考えてみると妻もすでに四十四歳である。彼女の鬢に霜をおく日もあまり遠い先ではなさそうである。してみれば、私が次のようにいつても、もうだれもわらう人はあるまい。すなわち、「若いころの彼女は、今よりずつとずつと美しかつた」と。

        主婦として

 まず経済。家計のことはいつさい任してあるが決してじようずなほうではない。といつてむだ費いもしない。ときに亭主に黙つて好きな陶器や家具を買うくらいが関の山である。家計簿はつけたことがない。私がどんなにやかましくいつても頑として受け付けない。そういうことはできない性分らしい。近ごろではこちらが根負けして好きにさせてある。結婚当時の私の定収入は月百円、シナリオを年に二、三本書いて、それが一本二百円くらいの相場だつたから、どうやらやつては行けたが、彼女の衣類が質屋に行つたことも一、二度あつた。昭和八、九年ごろから十三年ごろまでは一番楽な時代で、この間はずつと八百円くらいの月収があつたから、保険をかけ、貯金をし、家具を備え、衣類を買うことができた。
 昭和十三年に私が発病してからは彼女の御難時代で、ことに現在では当時の半分しか収入がないうえに、物価が百倍にもなつたため貯金を費い果し、保険を解約して掛金を取りもどしたりしたが、それもほとんどなくなつた。昨年の秋からは、妻にも明らかに栄養失調の徴候が現われ始めた。要するに、現在は妻にとつて結婚以来もつとも苦難の激…

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