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可愛い女
かわいいひと
作品ID43645
著者チェーホフ アントン
翻訳者神西 清
文字遣い新字新仮名
底本 「可愛い女・犬を連れた奥さん」 岩波文庫、岩波書店
1940(昭和15)年10月11日
初出DUSHECHKA
入力者佐野良二
校正者阿部哲也
公開 / 更新2008-01-04 / 2014-09-21
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 オーレンカという、退職八等官プレミャンニコフの娘が、わが家の中庭へ下りる小さな段々に腰かけて、何やら考え込んでいた。暑い日で、うるさく蠅がまつわりついて来るので、でももうじき夕方だと思うといかにもうれしかった。東の方からは黒い雨雲がひろがって来て、時おりその方角から湿っぽい風が吹いていた。
 中庭のまんなかにはクーキンという、遊園『*ティヴォリ』の経営主と持主とを一身に兼ねて、やはりその屋敷うちの離れを借りて住んでいる男がたたずんで、空を眺めていた。
「またか!」と彼は捨てばちな調子で言うのだった。「また雨と来らあ! 毎日毎日雨にならないじゃ済まないんだ――まるでわざとみたいにさ! これじゃ首をくくれというも同然だ! 身代限りをしろというも同然だ! 毎日えらい欠損つづきさ!」
 彼はぴしゃりと両手を打ち合せると、オーレンカの方を向いて言葉をつづけた。――
「つまりこれなんでさ、ねえオリガ・セミョーノヴナ、われわれの渡世って奴は。まったく泣きたくなりまさあ! 働く、精を出す、うんうんいう、夜の目も寝ない、ちっとでもましなものにしようと考えづめに考える、――ところがどうです? 一つにはまずあの見物で、これが無教育で野蛮と来ている。こっちじゃ一生懸命粒よりのオペレッタや、夢幻劇や、すばらしい歌謡曲の名人を出してやるんだが、それが果してあの手合いの求めるものでしょうか? 奴らにそんなのを見せたところで、果して何かしら分かってくれるでしょうかね? 奴らの求めるのは小屋掛けの見世物なんでさ! 奴らにゃ俗悪なものをあてがいさえすりゃいいんでさ! さてお次は、まあこの天気を見て下さい。晩はまずきまって雨と来ている。五月の十日から降り癖がついて、それから五月、六月とぶっ続けじゃ、お話にも何にもなりませんよ! 見物はまるで来ない、だが私の方じゃちゃんと地代を納めるんじゃないですか! 芸人の払いもするんじゃないですか?」
 あくる日も夕方ちかく又もや雨雲がひろがって来たので、クーキンはヒステリックな笑い声を立てながら言うのだった。――
「ええ何てこったい? 勝手に降りやがれだ! いっそ遊園ぜんたい水びたしにしちまうがいいや、いっそこの俺を水びたしにしちまうがいいや! 俺のこの世の幸福も、いやさあの世の幸福も、どうなりと勝手にしやがれだ! 芸人どもが俺を訴えたけりゃ訴えるがいいや! 裁判所がなんだい? シベリヤへ徒刑にやられたって構やせんぞ! 断頭台もあえて辞しはせんぞ! ハ、ハ、ハ!」
 そのまた翌日も同様だった。……
 オーレンカは黙って真剣な顔つきでクーキンの言葉を聴いていたが、時には彼女の眼に涙のうかぶこともあった。やがての果てに彼女はクーキンの不仕合せに心を動かされて、彼を恋してしまった。彼は背のひくいしなびた男で、黄色い顔をして、ちょっぴりしたもみ上げの毛をきれいにな…

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