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潜航艇「鷹の城」
せんこうてい「ハビヒツブルグ」
作品ID43656
著者小栗 虫太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「潜航艇「鷹の城」」 現代教養文庫、社会思想社
1977(昭和52)年12月15日
初出「新青年」博文館、1935(昭和10)年4~5月号
入力者ロクス・ソルス
校正者A子
公開 / 更新2007-04-03 / 2014-09-21
長さの目安約 131 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    第一編 海底の惨劇


      一、海―武人の墓

 それは、夜暁までに幾ばくもない頃であった。
 すでに雨は止み、波頭も低まって、その轟きがいくぶん衰えたように思われたが、闇はその頃になるとひとしおの濃さを加えた。
 その深さは、ものの形体運動のいっさいを呑み尽してしまって、その頃には、海から押し上がってくる、平原のような霧があるのだけれど、その流れにも、さだかな色とてなく、なにものをも映そうとはしない。
 ただ、その中をかい間ぐって、ときおり妙に冷やりとした――まるで咽喉でも痛めそうな、苦ほろい鹹気が飛んでくるので、その方向から前方を海と感ずるのみであった。
 しかし、足もとの草原は、闇の中でほう茫と押し拡がっていて、やがては灰色をした砂丘となり、またその砂丘が、岩草の蔓っているあたりから険しく海に切り折れていて、その岩の壁は、烈しく照りつけられるせいか褐色に錆びついているのだ。
 しかし、そういった細景が、肉の眼にてんで映ろう道理はないのであるが、またそうかといって闇を見つめていても、妙に夜という漆闇の感じがないのである。というのは、そのおり天頂を振りあおぐと、色も形もない、透きとおった片雲のようなものが見出されるであろう。
 その光りは、夢の世界に漲っているそれに似て、色の褪せた、なんともいえぬ不思議な色合いであるが、はじめは天頂に落ちて、星を二つ三つ消したかと思うと、その輪形は、いつか澄んだ碧みを加えて、やがては黄道を覆い、極から極に、天球を涯しなく拡がってゆくのだ。
 いまや、岬の一角ははっきりと闇から引き裂かれ、光りが徐々に変りつつあった。
 それまでは、重力のみをしんしんと感じ、境界も水平線もなかったこの世界にも、ようやく停滞が破られて、あの蒼白い薄明が、霧の流れを異様に息づかせはじめた。すると、黎明はその頃から脈づきはじめて、地景の上を、もやもやした微風がゆるぎだすと、窪地の霧は高く上り、さまざまな形に棚引きはじめるのだ。そして、その揺動の間に、チラホラ見え隠れして、底深い、淵のような黝ずみが現われ出るのである。
 その、巨大な竜骨のような影が、豆州の南端――印南岬なのであった。
 ところがそのおり、岬のはずれ――砂丘がまさに尽きなんとしているあたりで、ほの暗い影絵のようなものが蠢いていた。
 それは、明けきらない薄明のなかで、妖しい夢幻のように見えた。ときとして、幾筋かの霧に隔てられると、その塊がこまごま切りさかれて、その片々が、またいちいち妖怪めいた異形なものに見えたりして、まこと、幻のなかの幻とでもいいたげな奇怪さであった。
 けれども、その不思議な単色画は疑いもない人影であって、数えたところ十人余りの一団だった。
 そして、いまや潜航艇「鷹の城」の艇長――故テオバルト・フォン・エッセン男の追憶が、その夫人ウルリーケの口か…

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