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婚姻の媒酌
こんいんのばいしゃく
作品ID43672
著者榊 亮三郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「榊亮三郎論集」 国書刊行会
1980(昭和55)年8月1日
初出「光壽 第二號」1921(大正10)年
入力者はまなかひとし
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-04-05 / 2014-09-21
長さの目安約 51 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(一)毎々聞くことではあるが、世の中に、何がつまらぬ役目と云つても、祝言の仲人ほど、つまらぬものはない、祝言すんで、新婦新郎仲好く行けば、仲人には用事はない、善く行かずに苦情が出來たときは雙方の家の間に立つて、あちら立てれば、こつちが立たず、こちらの申條を立てやうとすると、あちらの申條を潰すことになり、心配なものである、だから、仲人するやうな愚者は、またと世の中にないと云ふ樣な述懷を、ときどき、耳にするやうなことがある、しかし愚者であつても、賢者であつても、結婚のときに、仲人がなくて、年頃の男女が、夫婦となると云ふことは、將來はいざ知らず今日の日本では、禮即ち善良な風俗慣習でないことになつて居る、法律では、媒酌人と云ふものの存在は、結婚の一要素にはなつて居らぬが、元來日本の法律は、日本の文化の程度に比して、非常に進み過ぎて居る、日本で善良なり、道徳的なりと認められて居る風俗習慣も、日本よりも經濟上、政治上、又學術上進歩した國々では、種々の理由から、夙に消滅してしまつて居るものがある、これらを先進國と云ふが、先進國とは、何もかも先進して居る國と云ふ意でない、殊に道徳などから云へば、經濟上、政治上の影響から、却つて後進國と云はるゝ國より劣つた點もある、斯かる先進國の法律を輸入した結果、一方では先進國との交際に就いては、彼我の便宜鮮くないが、他方では、其の法律智識は未だ國民の間に、充分に浸潤洽浹して居ないから、動もすれば、法律上の智識は、少數者の占有物に歸し、其の少數者は、これを惡用する恐はあつて、道徳上からは社會に批難すべきことであつても、法律上制裁はないことは、どしどしやつて耻ぢないと云ふことが出來る、法律上、結婚の媒酌人の有無は問はぬが、今日の日本で、相當の媒酌人なくして、年頃の男女が結婚すると云ふことは、道徳上善良なることとは云へぬ、又相當の家で正式に縁組をする際、媒酌人のないと云ふことは、先づない、今日の日本では兎も角、古代の支那、印度では、殊に然りである、支那の古代では禮を以つて縁組せねば、野合と云つた、現に孔子の父は叔梁[#挿絵]と云つて、顏氏の女と一所になつて、孔子の樣な聖人を生んだが、禮を以つて結婚しなかつたと見えて、野合したと歴史家は云つて居る、如何なる點に於て、禮に缺くることがあつて、孔子の父の結婚を野合と云つたかは知らぬが、いづれの國、いづれの時代でも、年頃の男女が結婚する場合に、相當の媒酌人の存在は、禮に於て必要なことと思ふ、然るに小乘律ではあるが、佛教では、堅く佛弟子に對し媒嫁即ち結婚の媒酌をなすことを禁じて、犯すものには、女人の身に觸るゝことや、男女淫樂のことを説くと同樣に、僧殘罪を以つて問ふて居る、隨分重き罪となつてある、常情から見ると、男女の淫樂の幇助となるやうな媒介は、惡いことに相違ないが、正式の結婚を媒酌することには、何等の支…

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