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自警録
じけいろく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「自警録――心のもちかた――」 講談社学術文庫、講談社
1982(昭和57)年8月10日
入力者ゆうき
校正者田中哲郎
公開 / 更新2010-07-16 / 2014-09-21
長さの目安約 341 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#ページの左右中央]


  芭蕉ハ無クシテレ耳聞イテレ雷ヲ開キ
  葵花ハ無クシテレ眼随イテレ日ニ転ズ

そめ色の山もなき世におのづから
     柳はみどり花はくれなゐ


[#改ページ]





 とかく道徳とか仁義とかいえば、高尚遠大にして、通常人の及ばざるところ、たまたま及ぶことあれば、生涯に一度か二度あって、専門的に修むる者にあらざれば、単に茶話の料か、講義の題として聞くもののごとく思い流すの懼がある。もちろん道徳の思想は高尚、その道理は遠大であろう。しかしその効用と目的は日々の言行に現すほど、吾人の意識の中に浸み込ませるところにあると思う。古の賢人も道はここにありと教えた。なお賢人の曰うに、「言近くして旨遠きものは善言なり。守ること約にして施すこと博きものは善道なり。君子の言は帯より下らずして道存す」と。
 これを思えば道すなわち道徳はその性高くしてその用低く、その来たるところ遠くして、その及ぼすところ広く、田夫野人も守り得るものであるらしい。
 わが邦においては道徳に関する文字は漢語より成るもの多きがゆえに、学問なければ、道も修め得ぬ心地す。仁義礼智などとは斯道の人にあらざれば解し能わぬ倫理として、素人のあえて関せざる道理のごとくみなす風がある。これもそのはずであって、むかしは堅苦しき文字を借りて、聖人にも凡人にも共通なる考えを言い現す癖があった。これはただに儒学のみでなく、仏教においても同然で、今日もなお解き難き句あれば「珍聞漢」とか、あるいは「お経の様」なりという。また、かくのごときは独り本邦ばかりでない、西洋においても一時は解りきったことさえも、わざわざ自国の通用語を排してラテン語をもって、論説した時代もあった。薬も長きむずかしき名を付ければ効能多く聞こゆるの例によりて、ややもすると、今もこの弊に陥りやすい。
 なるほど、なにごとにしても、理を究めんとすれば心理学の原理に入らざるを得ないから、容易ならざる専門的研究となるが、吾人の平常踏むべき道は藪の中にあるでなし、絶壁断巌を沿うでもない。数千年来、数億の人々が踏み固めてくれた、坦々たる平かな道である。吾人が母の胎内においてすでに幾分か聞いて来た道である。孟子の、「慮らざる所にして知るものは人の良知なり」と言った通り、慮らずして、ほとんど無意識に会得してある教訓に従うを道徳と称するものでなかろうか。
 わが輩は決して道徳問題は、みなみな無造作に解するものと言うのではない。一生の間には一回二回もしくは数回腸を断ち、胸を焦すような争が心の中に起こることもある。しかしそんな難題は生涯に何回と一本か二本の指で数えつくせるくらいなものである。これに反し、われわれの最も意を注ぐべき心掛は平常毎日の言行――言行と言わんよりは心の持ち方、精神の態度である。平常の鍛錬が成ればたまたま大々的の煩悶の襲…

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