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地虫
じむし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「潜航艇「鷹の城」」 現代教養文庫、社会思想社
1977(昭和52)年12月15日
初出「新青年」1937(昭和12)年2月号
入力者ロクス・ソルス
校正者安里努
公開 / 更新2013-04-30 / 2014-09-16
長さの目安約 53 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一、紅い水母

 大都市は、海にむかって漏泄の道をひらいている。その大暗渠は、社会の穢粕と疲憊とを吸いこんでゆく。その汚水は、都市の秘密、腐敗、醜悪を湛えてまんまんと海に吐きだす。ところが、どんな都市でも、その切り口を跨いだあたりに奇異な街があるのだ。
 そこは、劃然と区切られた群島のようなもので、どこにも橋の影を落さぬ、水というものがない。影は影に接し、水はくらく、しかも海にちかく干満の度がはげしい。ぐるりは、ギラつく油と工場の塀で、まさに色もなにもないまっ黒な堀水である。
 そんなわけで、もしも端れの一つに橋がなかったとすれば、その一劃は、腐泥のなかで、孤島のように泛びあがってしまうのだ。
 都市中の孤島――私は、当然読者諸君が[#挿絵]るであろう不審の眼を予想して、次のその実在を掲げることにする。
 諸君は、荒川放水路をくだって行った海沿いの一角に、以前から、「洲蘆の居留地」と呼ばれる、出島があるのを御存知であろう。そこは、杭が多く海流が狭められて、漕ぐにも繋ぐにもはなはだ危険な場所である。水は、はげしく奔騰して、石垣に逆巻き、わずか、西よりの一角以外には、船着場所もない。
 それに、じめじめと暮れる西風の日には、塵埃焼却場の煙が、低く地を掃いて匂いの幕のように鎖してしまう。また、島の所々には小沼のような溜りがあって、そこには昔ながらの、蘆の群生が見られるのである。そのそよぎ、群れつどう川鵜の群が、この出島の色に音に荒涼さを語る風物なのであった。
 そこで起る当然の疑問は、都心に近いこの港の口に、なぜ、こうも荒れ寂びれた出島があるかということである。
 けれども、この「洲蘆の出島」は、もともと仏蘭西大使館の鴨猟地なのであった。現在も、以前の猟館には司厨長が住んでいて、他には、自転車の六日競争の小屋があるくらいである。
 おまけに、その二、三の棟が疎らに点在していて、もしも秋の日暮に、私たちがこの島を訪うたとして、海風に騒ぐ茫漠たる枯菅の原を行くとしたら、その風雨に荒れ、繕うこともない石壁の色は、もはやとうていこの世のものとは見えぬであろう。背後の檣も、前にある煙突の林立も、およそ文化といい機械という雑色のなかにあってさえも、この沈鬱の気を和らげるものではない。
 ところが、四十町七丁目側の石崖が崩壊して、折角あった、ただ一つの木橋が役立たなくなってしまった。
 それからはこの島に――といっても、当分のあいだではあるが――埋立地から出る、渡船で聯絡するようになった。そうして、東京という大都市のなかに、見るも黄昏れたような孤島が作られることになったのである。
 さて私は、その出島に起った、世にも凄惨な[#「凄惨な」は底本では「棲惨な」]人間記録を綴ろうとするのであるが、それは、鵜の羽音でも波浪の響でもなく、陰々と、地下にすだく地蟲の声なのであった。
 その…

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