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人魚謎お岩殺し
にんぎょのなぞおいわごろし
作品ID43679
著者小栗 虫太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「潜航艇「鷹の城」」 現代教養文庫、社会思想社
1977(昭和52)年12月15日
初出「中央公論」1935(昭和10)年8月
入力者ロクス・ソルス
校正者安里努
公開 / 更新2013-05-04 / 2014-09-16
長さの目安約 68 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

序 消え失せた人魚

 今こそ、二三流の劇場を歩いているとはいえ、その昔、浅尾里虹の一座には、やはり小屋掛けの野天芝居時代があった。
 それでこそ、その名は私たちの耳に、なかなか親しみ深くでもあり、よしんばあの惨劇が起らなかったにしろ、どうしてどうして忘れ去れるものではなかった。
 と云うのは、その一座には、日本で一ヶ所と云ってもよい特殊な上演種目があった。それがほかならぬ、流血演劇だったのである。
 そこで、一つ二つ例をあげて云うと、「東山桜荘子」の中では、非人の槍で脇腹を貫く仕掛などを見せ、夏祭の泥試合、伊勢音頭油屋の十人斬などはともかくとして、天下茶屋の元右衛門には、原本どおり肝を引き抜かせまでするのであるから、耳を覆い眼を塞がねばならぬような所作が公然と行われ、卑猥怪奇残忍を極めた場面が、それからそれへと、ひっきりなしに続いてゆくのだった。
 さらにそれ以外にも、今どきとうてい見ることのできない、ケレンものなども上演されて、「小町桜」や「天竺徳兵衛韓噺」では、座頭の里虹が、目まぐるしい吹き換えを行い、はては、腹話術なども用いたというほどであるから、自然と観客は、血みどろの幻影にうかされてしまって、いつとなく、魔夢のような渇仰をこの一座に抱くようになった。
 しかし、ここで奇異は、南北の四谷怪談であるが、それだけは、かつてこの一座の舞台に上ったためしがなかったのである。
 事実作者も、幼少のころおい、この一座の絵看板には数回となく接していて、累や崇禅寺馬場の大石殺し、または、大蛇の毒気でつるつるになった文次郎の顔などが、当時の悪夢さながらに止められているのである。それゆえ、もしその当時に、お岩や伊右衛門はまだしものこと、せめて宅悦の顔にでも接していたならば、作者が童心にうけた傷は、さらにより以上深かったろうと思われる。
 ところがついにそれは、小芝居にありきたりの、因果噺ではなかったのである。
 寄席の高座で、がんどうの明りに、えごうく浮き出てくる妖怪の顔や、角帯をキュッとしごいて、赤児の泣き声を聴かせるといった躰の――そうしたユーモラスな怖ろしさではなかった。それとは、真実似てもつかぬ、血と人体形成の悲劇だったのである。
 狂乱した肉慾が、神の定めも人の掟もあっけなく踏み越えて、ただひたすらに作り上げた傑作がこれであり、里虹一座の人たちは、まったく油地獄のそれのように、うちまく油流れる血、踏みのめらかし踏みすべらかして、とめどない足のぬめりに、底知れず堕ち込んで行くのだった。
 そこで作者は、あの隠密の手のことを語りたいのである。
 それには、宿命の糸を丹念にほぐし手繰り寄せて、終回の悲劇までを余さず記してゆかねばならぬのであるが、まず何より、順序として里虹の前身に触れ、あの驚くべき伝奇的な絡がりを明らかにしておきたいと思う。
 今世紀のはじめ、ケル…

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