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青空同人印象記(大正十五年六月号)
あおぞらどうじんいんしょうき(たいしょうじゅうごねんろくがつごう)
副題『青空』記事
『あおぞら』きじ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「梶井基次郎全集 第一卷」 筑摩書房
1999(平成11)年11月10日
初出「青空」1926(大正15)年6月号
入力者土屋隆
校正者高柳典子
公開 / 更新2005-05-21 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




     忽那に就て

 忽那はクツナと讀む。奇妙な名だ。こんな話がある。高等學校では彼も教場を下駄穿きで歩く方だつた。獨逸人の教師が、
「何故下駄で教室へ入るのだ」と或日彼に云つた。
「靴がないのです」
 そこでヘルフリツチユ先生が
「道理でクツナ」
 忽那の生國は伊豫だ。彼は犬神の話を持つてゐる。鬪鷄の話。海上の婚禮の話。おこぜの話。――そんなところから郷土的な「肥料盜人」のやうなものが生れた。
 高等學校ではラグビーをやつてゐたことがある。應援團の中にもゐた。それでゐて畫をやる。かなり多方面だ。高等學校でも大學でも獨逸人には「能筆」と云はれる。
 情に脆く人なつこい性質とその半面の孤獨――時として彼はまいまいつぶらの樣に蓋を閉ぢてしまふ。
 私は彼の印象から龍を畫くことが出來さうだ。然し睛を點じることは忽那よ、それは私一人ではやれないことだ、友情を力にして、二人で睛を點じようではないか。

     飯島に就て

 寄宿舍の受付には外國からの映畫雜誌が飯島宛に澤山來る。古顏の生徒が勝手に開封して「シヤンだな」など云つて頁をまくる。飯島はそれを一番嫌つた。活動から歸つて來ると、「義侠のらつふるず」といふ風にノートへ役割からシナリオから何から何まで書き入れる、――そんな熱心さだつた。佛文科へ入ることは一等最初から極めてゐた。同室だつた自分は隨分影響をうけた。それが京都で三年、私が遲れて東京へ來てからも、まだ續いてゐた。そして飯島の名は人々の知るところとなつてゐた。小方又星、伊吹武彦、淺野晃、そんな人々と新思潮に據り戲曲をどし/\發表し出した。その人が病氣になつた。確か一昨年の冬だつたと思ふ。それから此方まだ快くならない。
 飯島ははつきりした人だ。たくらまない表現がそれを語つてゐるやうに、正直な淡白な人だ。そのなかに自からの含蓄を持つてゐる。
 詩を作るやうになつたのはやはり病氣になる前後だつた。高輪の家で君の枕頭ではじめて君の小説は讀んだ。君の制作力は健康な私達を壓倒する位だ。毎日二三頁を書いたとか。大部の未完原稿が此の間屆き、私は驚いた。君は病から病へ苦しみ續けて來た。そして私達の知らない樣な心境に到達したと見える。その間の心の歩みは尊く涙ぐましい。
 私は君の學殖に敬意を拂ふ。そして君の素質に大きな期待を持つ。早く快くなつて呉れ。



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