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荒磯の興味
あらいそのきょうみ
作品ID43743
著者佐藤 惣之助
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆4 釣」 作品社
1982(昭和57)年10月25日
入力者浅葱
校正者門田裕志
公開 / 更新2005-01-31 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 荒磯の春というものは、地上がまだ荒涼としている冬の内に、もうそろそろやって来ているのである。海草の芽は冬の内に生える。そしていよいよ陸上の春が来て、人間が春の磯遊びにゆく頃には海草もかなりのびて、新芽を喰いに来た魚族は更に深みへ移り、温い潮につれていろいろに移動する。
 その結果、この頃での磯釣は冬の内に初まる。十二月から翌年の二月へかけて、伊豆方面のブリ、ブダイ、イズスミ、クシロなぞの竿釣が行われ、初夏にはクロダイ、夏にはメイジダイ、ヒラマサ、秋も略同様なものが、三間から四五間の長竿で釣れるのであるから、近代の釣人がその強引にあこがれて、遠く出釣するのも無理はない。船でサヨリの掛釣とか、その他の魚の曳釣も行われるが、磯の興味は荒い岩礁や巌の上から、竿を満月にしぼって釣るところにある。
 従って荒磯を攻めるには、冬でも夏でもその附近の漁村へ一二日は滞在し、悉しくは漁夫に案内させるのがよいが、船釣ばかりしている漁夫は、又案外に磯の海溝や岩礁の潮流や、魚の附き工合いを知らぬもので、これはむしろ潜水に経験のある者とか、その附近の素人の釣人に尋ねる方が悉しく解る。
 荒い岩礁と怒濤が白馬のように狂っている磯へゆくと、あまりにも人間の存在は弱く小さい。むしろ魚の方があの怒濤に堪えて生きているだけあって、人間よりも強く賢いようにさえ思える。友人と二人で行っても、七八間隔ったら浪の響きで言葉が解らないことがある。まして岩礁はよく辷ったり、釘の山のような所があったり、峨々たるところ、坦々たるところ、辷ったり、曲ったり、尖ったり、千変万化に岩が配置されているから、どこから行って、どこを通るという見当さえつかない所もある。浅い所は白泡が立っている、深い所は深藍に渦巻いている。適当な巌が出ていると思うと、なかなか道がない、背後の絶壁を岩登りの勢いで降りたり登ったり、又干潮を見計って、少し沖の岩へ渉ったり、とにかく岩登り、岩歩きが上手でないと危険である。陸釣で海にさらわれるのは、多く荒磯の釣にゆくからである。
 然し精神を落着けて、つまり浪のリズムに乗り、海と身も心もぴたりと一致さして、潮のとびちる巌上に立ち、一竿を揮って釣れるようになったら、その豪快な感覚というものは無類である。水平線と、浪と雲、岩とそして自分と魚だけで、竿を振り、餌を流し、獲物を狙う。眼も頭も凡て海と一致しているのである。岩をとび歩いても、海草や貝類を見ても、もう決して陸上の人間のような感じは持たない。海は生きている、海草も貝も生きている。まして釣は猶更のこと、その神秘な自然の深みへ没入して、初めて溌剌たる魚を引掛け得るのだ。そして強引に争い、水面をぬいて獲物とするまでには、時に魚の鰭で手に血を流し、転んだり、跪いたり、思わぬ怪我をしても、潮で洗えばすぐ癒るような野蛮さにある。
 長竿を揮って、怒濤の巌上に立…

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