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俺の記
おれのき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「尾崎放哉全集 増補改訂版」 彌生書房
1972(昭和47)年6月10日、1980(昭和55)年6月10日増補改訂版
入力者門田裕志
校正者高柳典子
公開 / 更新2007-02-04 / 2014-09-21
長さの目安約 43 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 俺には名前がない、但し人間が付けてくれたのは有るが、其れを云ふのは暫く差控へて置かう。
 だが、何も恥かしいので云はぬと云ふわけでは毛頭ない。云ひにくいから云はないのだ。外になんにも理窟はない、冬になれば雪が降る、夜になれば暗くなる、腹が減つたら食ふのだ、一体、理窟と云ふ物も、あとから無理に拵へてクツ付けるので、なす事、する事、始めから一一理窟で割り出して来る物ではない。
 余計な事は抜きとして、処で、俺は今年で丁度三つになつた。とは、人間なみに云つて見たので、俺の世界には歳も何も有つた物ではない。元日が大晦日だらうが、大晦日が元日ならうが、とんと、感じの無い方だ。
 次は、俺の棲つてゐる処だが、御江戸日本橋のマン中と云ひたくても、実の処、其の隅ツ子の端ツコの、八百八町の埃や塵が抜け出す穴見たいな処だ。其の証拠には、俺が居る家の門の前を、毎朝、毎晩、雨が降つても雪が降つても、乃至、太陽に黒点が表はれやうとも、不相変のゴロ/\/\/\、百五十万人の糞を車に積んで、板橋とやら云ふ方へ引つぱつて行くのでもわかる。嘘だと思ふなら試に来て見給へ。で、この辺一体の地名は、慥か、向が岡、又、弥生が岡、一名向陵、乃至は武陵原頭なんかと、洒落れて云ふ人もある。其処に六軒、カラ/\した家が並んで立つてゐる。尤も、俺が始めて此処に来た時分は五軒しかなかつた。自治寮と云ふのが家の名ださうだ。自治の城とも云ふ人間もある様だが、其実、城処の騒か、家と云ふのも勿体ない位、何時見てもカラ/\してゐる奴で、湿り気は微塵もない、それで以て、汚い事、古い事、セントルイスの博覧会にこれを出したら、蓋し、金牌物だらうと云ふ話し。筑波颪が、少しでも[#挿絵]をかけて来ると、ミシ/\、ミシ/\と鳴り出す仕末、棺桶で無いから輪がはづれたとて、グニヤリと死人がころげ出す事もあるまいが、もし此家が壊れたら、飛び出す者は鼠一匹処の話ではない。現に、この自治寮に住つてゐる学生と云ふ人間が、其数約六百は居る。それに俺等の仲間で、此家に棲つてゐる連中が、丁度、五十位は有るから、合計六百五十位は居るだらう。俺等も人間とイツシヨに数へると、人間が怒るかも知れんが、チツとも怖くない。俺も今年で三歳子だ、金魚なら一匹十五六銭はする頃だ。甘いも酢いも、随分心得たつもりさ。
 これから、愈[#挿絵]、俺の記となるのだが、扨、こー話しかけて見ると、何だかボーツとしてしまつて、遠方の方で生えかけの口鬚でも見る様に、どれが鬚だか眉毛だか、彷彿として霞の中だ。誠に、今昔の感に堪へん気持がして来る。が、まづ俺が最初此処にやつて来た、其折の頃からボツ/\とやらかさうか。なに、俺だつて、もと/\こんな処に居りはしなかつたので、矢張り店屋の軒で、ブラ/\と呑気に遊んで居たのだが、丁度、今から三年前さ、同じ仲間の奴とイツシヨに十計り、此家に持つ…

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