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仙人掌と花火の鑑賞
サボテンとはなびのかんしょう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本現代文學全集 22 土井晩翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集」 講談社
1968(昭和43)年5月19日
初出「屋上庭園」1910(明治43)年2月
入力者広橋はやみ
校正者小林繁雄
公開 / 更新2005-04-07 / 2015-10-20
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 わたくしはいつもの瞑想をはじめる。――否、瞑想ではない、幻像の奇怪なる饗宴だ。雜然たる印象の凝集と發散との間に感ずる夢の一類だ。さうしてゐるうちに突然とわたくしの腦裡に、仙人掌と花火といふ記號的な概念が浮んでくる。その概念が内容を摸索する。人間の日常生活には、さして交渉を保たないこの二つのものが、漸次に一つの情調の中に人工的な色と形のアレンジメントを創造する。

 仙人掌の聯想の奧から、まづ第一に、或る老人の顏面が潮氣をふくんだ夕影のしつとりとしたアトモスフェアの中に現れてくる。顏から頤にかけて、拂子のやうな長い眞白な髯が垂れてゐる。そのためか顏色がひどく赤く見える。それがいつも眞白な髯に醉つてゐるのではないかと思はれる。
 老人は右の手に亞鉛製の如露を持つたまゝ、左の手で髯を靜かに撫でおろす。聲調の緩い言葉がそれに伴つて起る。
「不思議ぢやありませんか、この仙人掌にこんな花がさきましたよお。」
 吐いたものを呑みこむやうな、この海村特有の語尾のひびきが、「不思議」といふものをゆつたりと運び來り運び去るが如く聞える。
 如露のさきからは濺ぎ終つたあとの雫がぽたりぽたりと滴つて、まだ熱氣を含んでゐる砂地に染みこんでゆく。その雫の一つが仙人掌の花の上に落ちかゝつたとき、鮮紅に匂つてゐる花が微かにゆらめくと見てとつたが、わたくしはその花の姿から、怪しい微笑を控へる異國の貴女の畫像の表はす情趣と共に、日光を怖れると同時に日光を嘲笑ふマニヤにかゝつてゐるステンド・グラスの神經質とを想ひ浮べる。そしてわたくしの眼の前には極めてイマジナチイブな瞬間が閃めいて過ぎ去つたのであるが、ふと氣がつくと、花の頸はまたもとどほり眞直になつてゐる。
 傍に立つてゐる別莊守の老人の顏には單純な沈默がいつまでも夢をむさぼつてゐる。
 この老人が足輕であつた若いをりに、米利堅の黒船といふものが渡來して、世の中が大變にざわめいた。今の老人はその時下田に警護のために行つてゐて、さまざまな不思議を感得した。老人はこんな話をよくわたくしに聞かしてくれたが、一つには記憶の朦朧と混雜とを恐れるがため、また一つには時世のちがつた新代の若者の心に、その當時感じたこゝろもちが如何にも傳へにくいがために、いつもそんなをりには、どことなく漠然とした、耻ぢるやうな表情をしめした。老人の顏には、今もまたさういつた空虚な影があらはれてゐる。
 老人はこの齢になるまで仙人掌の花を注意して見たこともなかつたらしい。
 別莊のうしろからは駿河灣の紺碧の色がのぞいてゐる。鮮紅の仙人掌の花は、やうやく逼り來る黄昏のかげにつゝまれながら、大海の潮を傾け盡すも洗ひ去り難い、重い罪の斑痕のやうに見える。

 執著と矜持――その表面には濃艶と奇異がある。わたくしは多くの植物のうちで最もこの仙人掌を好む。道徳的な何等の意味も、その形と色…

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