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いずみ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集14」 岩波書店
1991(平成3)年4月8日
初出「東京朝日新聞、大阪朝日新聞」1939(昭和14)年10月7日~1940(昭和15)年3月11日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-11-01 / 2014-09-16
長さの目安約 384 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

勇士黒岩万五の帰村





 北支の戦線から一年半ぶりで故郷の村へ帰つて来た黒岩万五は、砲兵上等兵の軍服を思ひきりよく脱いで、素ツ裸に浅黄の腹掛けといふ昔どほりの恰好になつた。今日だけは麦藁帽が見つからず、しかたがない、当節誰でもがかぶつてゐる戦闘帽の星をもぎつたのをきちんと頭にのせて出た。
 なにはともあれ、立花伯爵の山荘へ挨拶に行かねばならぬ。裏の木戸は押せば開く。勝手口には顔見知りの年寄りの女中が、朝の食事の支度をしてゐる。声をかけるのが面倒なので、そのまゝのこのこと庭の方へ廻つてみる。
 と、丁度その時、ド、ド、ド、ドツと、地ひびきがして、何処かの崖が崩れる音がした。硝子戸がしばらくふるへた。
「なんでせう? また浅間の爆発かしら?」
 と、奥から露台の方へ、手鏡をもつたまゝ飛び出して来た若い女性を、黒岩万五は、がつしりと、その鋭い視線で受けとめた。
「わしです。石屋の万五です。帰つて参りました」
 息を呑んだまゝ立ちすくんでゐる彼女の、朝の化粧の清々しい瞼がまづこれに応へた。
「まあ、ちつとも変らないで……。でも、よかつたわ、ほんとに……」
「慰問袋を二度もいただいたに……一度しかお礼を出しませんで……」
「あら、四度よ、たしか……そいぢや、あとの二つはどつかへ紛れたんだわ」
「そいつはどうも……」
 と、彼は頭へ手をのせ、改まつて、
「旦那はお変りございませんか」
 旦那といふ言葉にいくぶんこだはるやうに、彼女は淋しく微笑んだ。
「伯爵は昨日急用がおできになつて、東京へお帰りになつたわ。えゝ、とてもお元気……。去年はあなたがゐないからつてお庭いぢりもなさらなかつたし……。つい、こないだよ、二人であなたのお噂したのは……」
 この伯爵の秘書、斎木素子なる女性について、黒岩万五は元来詳しいことは知らなかつた。蔭ではいろいろなことを云ふものがある。伯爵夫人といふ人の姿がなぜこの別荘に現はれないかと詮議したり、伯爵夫人はちやんとゐることはゐるのだが、しかし、ある事情のため、実家に帰つてゐるのだと、まことしやかに伝へるものがある。黒岩万五は、だから、伯爵の女秘書はいくぶん伯爵夫人に代るものであつて差支ないと信じてゐるのである。
 ところで彼女は、実に、物好きなをんなである。それは、慰問袋に添へてあつた手紙が、たとへ純粋な銃後女性の感謝と激励の文章であるにもせよ、すこし長すぎはせぬかと思はれた。
 彼女は、今、また、その手紙を書いた時のやうな熱心さで、露台の手摺に寄りかゝつてゐる。いかにも、彼女は、黒岩万五の全身から生々しい戦さの臭ひを嗅がうとしてゐるのである。



「あなたは戦争するために生れて来たやうな人だもの、どんな凄い手柄を立てたか、聞きたいわ。第一、辛いなんて思つたことないでせう、あつちへ行つて……」
「さうでもありませんね」
 と、彼はわ…

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