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おばあさん
おばあさん
作品ID43867
著者ささき ふさ
文字遣い旧字旧仮名
底本 「ささきふさ作品集」 中央公論社
1956(昭和31)年9月15日
初出「苦樂」1947(昭和22)年1月号
入力者小林徹
校正者林幸雄
公開 / 更新2008-08-18 / 2014-09-21
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

「おばあさんがいよいよ來るんですとさ。」
 私はひとごとのやうに云つて、彼の顏色をチラと窺つた。
「來られるのかね。」
「來るときめてゐるらしいわ。」
 私達夫婦は何事につけてもあまり多くを語らない。大きな卓の向うで、彼は僅かな言葉を洩らす間も、たいてい何かを讀んでゐる。私は傳へなければならない僅かをやうやうの思ひで云つてしまふと、いつもの癖で、目を硝子戸の外に向けた。つい先達て汗だくになつて刈込をした楊梅の枝枝には、茜とも鳶ともつかぬ色のつややかな葉が、可愛らしくもう出揃つてゐる。空には淡い白雲が、動くとも見えない。がその切れめには更に淡い、紗を振つたやうな一群が、押されるやうななだらかさで流れ過ぎて行く。上層にはごく僅かな動きがあるらしい。音なき音樂だなと私は思つた。と同時に自分自身の心中には、それとは凡そうらはらな雜音がもの凄く錯綜してゐるのを意識した。
 ――おばあさん、伊東へ來るといいな。
 そもそもさう云ひ出したのは彼の方だつた。
 ――こんなお魚があるのに。
 ――うちに温泉が出てゐるのに。
 さう云ふ彼の顏色を私はチラと窺ふばかりだつた。これは彼の歌かも知れない。のみならず自分自身の母を呼ぶことは、よほど考へなければならない。彼の母も私達の家へ來たがつた。そしていよいよ迎への車が着いた時には既にこと切れてゐた。私は彼の母をろくに見なかつたことで、よく心苦しい思ひを味ひ返す。おばあさんが話題になる場合はわけても心苦しくなつてくる。だから私はおばあさんに、彼がかう云つてゐます、ああ云つてゐましたと傳へただけで、是非いらつしやいと自分の言葉で勸めたことは一度もなかつた。そのうち空襲が激しくなつてきた。多摩川に近い郊外は安全とはいへない。
「老人疎開といふこともあるのだから。」
 まともに彼にさう云はれて初めて私は、自分自身の誠意も籠めて、ともかく危險の去るまで安全率の高い伊東へお越しになつたらと書いて送つた。だがその時のおばあさんには良郎といふものがあつた。風來坊の此次男はお酒と、それから四十過ぎて貰つてぢき別れた細君のことで、おばあさんにずゐぶん苦勞をかけたものだつた。がお酒のどうにもならなくなつてからは、俄然孝養到らざるなしになつてしまつた。おそらくひとり身の彼にとつては古陶のやうなおばあさんが凡ての寄りどころとなつたのであらう。茉莉花や菊をつくるのの巧かつた彼は、食糧事情が窮迫して來るにつれ、そら豆とか莢豌豆とか菠薐草とか、さういつたおばあさんの口に合ふものの方へ轉向して行つた。本業はロシア語で、アルツィバーシェフやゴリキーの飜譯もあるのだが、書架にはだんだんバーバンクとかミチューリンとかがのさばり出した。おばあさんの隱居所は長男の邸内の片隅に在るのだが、本家で百姓につくらす野菜は枯れがれなのに、隱居所の縁先はいつも青あを…

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