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芸術の人間学的考察
げいじゅつのにんげんがくてきこうさつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中井正一評論集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年6月16日
初出「理想」1931(昭和6年)10月
入力者文子
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-11-05 / 2014-09-21
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 ハイデッガーが存在に問いを発するにあたって、人間に優先性をあたえたのは、人間がすでに存在の会得をもち、彼のありかた existentia によって、それが何であるかessentia を把握することができるゆえである。
 人間においては Was-Sein は Wie-Sein にほかならない。
 いかに生きるかということによって、それが何であるかということをあらわにする。ハイネマンは現代哲学のゆくえを、Geist より Leben に、Leben より Existenz への推移をもって説明して、「おのれみずから整えられ型づくられるところの、この生命 Leben がみずからの上にその形式と型態の原理を保持し、しかもみずからそれを意識するとき、われわれはこれを実存在Existenz と名づける」という。
 存在の会得は、みずから現存在の一つの存在規定である。Seinsverst[#挿絵]ndnis ist selbst eine Seinsbestimmtheit des Daseins. しかもその現存在は、常にみずからを彼の実存在より会得するのである。その実存在とはすなわち、みずからに即し、あるいは即せざる可能をもつところのおのれみずからの一つの可能性を意味する。Das Dasein versteht sich selbst immer aus seiner Existenz, einer M[#挿絵]glichkeit seiner selbst, es selbst oder nicht es selbst zu sein.
 かかる実存在の意味において、人間は存在への通路 Zugang をもつのである。
 こうしたみずからがみずからに向って、身をもってする理解 Beurteilung は、哲学もがその一部であるところの最も広い存在の問、あるいは学に従属しなければならない。
 美の現象もまた、かかる理解の一つに属しうる。



 物理的説明の変遷にもかかわらず、人間において「光」の現象は具体的に判明である。物理的説明が光の現象と等値的射影をもつではあろうけれども、まったく異なれる面の中にひろがっていると考えなければならない。「明かるさ」がなぜに軽さを、「暗さ」がなぜに重さを感ぜしめるか。光の芸術家が常におのれみずからの体系をなぜにもつかについて、物理的説明は問いかけない。
 人間はその判明なる光を通して、さらに何ものかに向って問いをかけるのである。
 人がみずからの肖像を鏡に映すだけで満足せずして、なぜにもう一枚の平面を架けてそれを描こうとするのか。なぜ見る喜びだけで満足せずして、描く喜びに転ずるのか。
 自分はそこで、自分みずからを一枚の画布によって隔てる。エクランにおいてもまた異なった意味でそうである。存在と実存在との隔たりの隙虚に画布なら…

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