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美学入門
びがくにゅうもん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中井正一評論集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年6月16日
初出「美学入門」河出市民文庫、河出書房、1951(昭和26)年
入力者文子
校正者Juki
公開 / 更新2015-04-27 / 2015-03-30
長さの目安約 170 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

第1部
  ――美学とは――


1 美とは何であるか

自然の中に
 美学とは何を学ぶ学問であろうか。大体人々は価値のあるものとして、真実であること、善良であること、美しくきれいであることの三つを好み、尊敬し、愛するのではないだろうか。その真実について学ぶのが、哲学、論理学であり、善良であることについて学ぶのが倫理学であり、美しいこととは何であるか、芸術とは何であるかを考え、たずねていくことが美学なのである。
 それでは美しいということは、どんな意味をもっているのだろう。景色が美しいという場合と、建築物が美しいという場合と、絵画が美しいという場合は一応意味が異なるように思われるのである。その一つ一つについて、これから考えてみよう。
 第一に自然の美しさとは何であろう。空、海、山河、あの大自然の美しさ、鳥や花、あるいは人の体の美しさでもやはり自然の美しさなのである。それらのものがなぜ美しいのであろう。この問題はまだ解けきれてはいない。実に数千年の間、人々はこのむずかしい問題の前にわからぬままに頭をたれているのである。しかし、いろいろの疑問を抛げかけている、この疑問の数々が、美学の歴史にほかならないともいえるのである。
 人々がよく知っていると自分で思っていることで、案外わかっていないものが多い。例えば自分の体の構造や働きを知りつくしているだろうか。自分の体が自分の自由になっているだろうか。手があるとか、足があるとかということではなくて、もっと内部で、刻々いかに血がめぐり、いかに血管が縮んだり伸びたりしているか、わかっているだろうか。否、自分が自分を自由にすることすらできるだろうか。冷静であろうと努めているのに、顔が真赤になることはないだろうか。あるフランスの批評家のいったように、自分の体もまた一つの大自然であり、山あり川あり、無限の喜びと悲しみをもっている大きな天地ではないだろうか。それについて自分がわかっていることは実に僅かであって、星の世界についてわかっていないことの多いと同じように、自分の体の中の働きについて知っていることも少ないし、また自由にもなっていないのである。実に自分の体自身が考えようもない複雑な、緻密な、微妙な、精巧をきわめた秩序の結集体ではないだろうか。つまり宇宙にくらべるべき容易ならざる大切なものが、自分自身の中にもあるのである。それらのものについて私たちは何を知っているであろう。実は何も知ってはいないのである。
 私たちが、日常のことで思い悩み、腹を立てたり、悲しんだりして疲れはてた時、ふと、自然を見て、「ああ、こんな美しい世界があるのを、すっかり忘れていた。どうして、これを忘れていたのだろう。」と何だか恥ずかしくなり、やがて、悲しみや、怒りを忘れてしまい、自然の景色の中につつまれ、「ああいいな」とうっとりとその中に吸い込まれていくこと…

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