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古い村
ふるいむら
作品ID4395
著者若山 牧水
文字遣い旧字旧仮名
底本 「若山牧水全集 第九卷」 雄鶏社
1958(昭和33)年12月30日
初出「新潮」1909(明治42)年6月号
入力者林幸雄
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-02-19 / 2014-09-18
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 自分の故郷は日向國の山奧である。恐しく山岳の重疊した峽間に、紐のやうな細い溪が深く流れて、溪に沿うてほんの僅かばかりの平地がある。その平地の其處此處に二軒三軒とあはれな人家が散在して、木がくれにかすかな煙をあげて居る。自分の生れた家もその中に混つて居るので、白髮ばかりのわが老父母はいまだに健在である。
 斯く山深く人煙また極めて疎なるに係らず、わが生れた村の歴史は可なりに古いらしい。矢の根石や曲玉管玉等を採集に來る地方の學者――中學の教師などが旅籠屋の無いまゝによく自分の家に泊つては、そんな話をして聞かせた。平家の殘黨のかくれ棲んだといふ説も或は眞に近い、よく檢べたら必ずその子孫が存在して居るに相違ないとも言つた。斯かる話は斯かる峽間の山村に生れたわが少年の水々しい心を、いやに深く刺戟したものであつた。自分の家は村内一二の舊家を以て自任し、太刀もあり槍もあり、櫃の中には縅の腐れた鎧もある。
 自分の八歳九歳のころ、村に一軒の小學校があつた。とある小山の麓に僅かに倒れ殘つた荒屋が即ちそれで、茅葺の屋根は剥がれ、壁は壞れて、普通の住宅であつたのを無理に教場らしく間に合せたため、室内には不細工千萬に古柱が幾本も突立つてゐた。先生はこの近くの或る藩士の零落した老人で、自分の父が呼寄せて、郡長の前などをも具合よく繕つて永くその村に勤めさせてゐたものであつた。恐しい酒呑みで頑固屋で、癇癪持ちで、そして極めての好人物であつた。自分は奇妙にこの老人から可愛がられ、清書がよく出來た本がよく讀めたと云つては、ありもせぬ小道具の中などから子供の好きさうなものを選り出して惜しげもなく自分に呉れてゐた。飮仲間の父に對つてはいつも自分のことを賞めそやして、貴君は少し何だが、御子息はどうして中々のものだ、末恐しい俊童だ、精一杯念入にお育てなさるがいゝ、などと口を極めて煽てるので、人の好い父は全くその氣になつてしまひ、いよいよ甘く自分を育てた。
 學校に於ける大立者は常に自分であつた。自身の級の首席なるは勿論のこと、郡長郡視學の來た時などの送迎や挨拶、祝日の祝詞讀みなども上級の者をさしおいて、幼少の矮小の自分が獨りで勤めてゐた。で、自づと其處等に嫉妬猜疑の徒が集り生ぜざるを得ない。そしてその組の長者と推薦せられたのは、矢野初太郎といふ一少年であつた。
 初太郎は自分に二歳の年長、級も二級うへであつた。その父は博勞で、博徒で、そして近郷の顏役みたやうなことをも爲てゐた。初太郎はその父とは打つて變つた靜かな順良な少年で、學問も誠によく出來た。田舍者に似合はぬ色の白い、一寸見には女の子のやうで身體もあまり強くなかつた。以前は自分もよく彼に馴染んで、無二の親友であつたのだが今云ふ如く自分の反對黨のために推されて、その旗頭の地位に立つに及び小膽者の自分は飜然として彼を忌み憎み、ひそかに罵詈中傷の言…

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