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慈悲
じひ
作品ID442
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆13 心」 作品社
1984(昭和59)年2月25日
入力者渡邉つよし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2000-06-03 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ひとくちに慈悲ぶかい人といえば、誰にでもものを遣る人、誰のいうことをも直ぐ聞き入れてやる人、何事も他人の為に辞せない人、こう極めて仕舞うのが普通でしょう。それはそうに違いないでしょう、それが慈悲ぶかい人の他人に対する原則ですから。
 然し、原則というのは結局原則であります。ものごとが凡て、原則どおり単純に行って済むのなら世の中は案外やさしいものです。お医者でも原則通りですべて病人が都合よく処理出来るなら、どのお医者でもみな病理学研究室に閉じこもって居れば世話はありません。なにも、面倒な臨床学など習って実地研究の何年間など費す必要は無いわけです。処が、その必要がある。ありますとも、其処が臨機応変、仏教のいわゆる、「時、処、位」に適する方法に於いて原則を実地に応用しなければなりません。
 本当の慈悲とは、此処に本当にものを与えるに適当な事情を持つ人がある。その時、その人に適当な程のものを与へる。それが本当の慈悲であります。ここに一人の怠け者があって、それが口を上手にして縋って来たとする。その口上手に乗ぜられ、ものをやったとする。それは慈悲に似て非なるものであります。おだてに乗った、うかつものの愚な所行です。そんな時、ものを遣る代りに、そのなまけ者のお上手者の頬に平手の一つも見舞ってやる。誡めになり発憤剤になるかもしれません。その方が本当の慈悲です。
 人の云うことを聞けば宜いと云って人を甘やかすばかりが慈悲ではありません。お砂糖ばかりで煮たお料理は却ってまずい。ひとつまみの塩を入れてたちまち味の調和がとれるではありませんか。時には、いつくしみのなかに味ひとつまみの小言もいれなくては完全な慈悲とはならないでしょう。
 愛情ばかりで智慧の判断の伴わない慈悲は往々にしてまた利己主義の慈悲になります。折角、自分は善良な慈悲心でして居るつもりのことが、利己主義の慈悲心になっては残念です。
 トルストイの作品のうちにあった例だと思います。何の職業をして居る人だったか忘れましたが、とにかく慈悲を心がけて暮らして居る或る男がありました。或る冬の夜、非常に天候が荒れ(或いは雪の夜だったかもしれません)ました。慈悲深い男は、家外の寒さを思い遣り乍ら室内のストーヴの火に暖を採り、椅子にふかふかと身を埋めて静に読書して居りました。と、家外の吹雪の中に一人のヴァイオリン弾きの老爺の乞食が立ち、やがてそれは寒さのために縮んで主人の室の硝子扉に貼りつくように体を寄せました。主人はもとより慈悲の心で生きて居る人です。しばらくヴァイオリン弾きの乞食姿をあわれと思って見て居りましたが、やがて意を決して硝子扉を開けました。主人はそして、ひたすら恐縮するヴァイオリン弾きを室内へ招じ、暖い喰べものを与え、ストーヴの火をどんどん焚き足して長時間吹雪のなかにさすらってこごえて来た乞食の老爺の体をあたためて…

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