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学校劇 其の他
がっこうげき そのた
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集19」 岩波書店
1989(平成元)年12月8日
初出「時事新報」1924(大正13)年11月26、27日
入力者tatsuki
校正者Juki
公開 / 更新2008-12-16 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文部大臣が学生の芝居を禁じたことは、その動機に於いて僕は大賛成である。と云ふのは、従来行はれてゐるやうな「学校劇」は、大体に於いてその鼓吹者が信じてゐるやうな芸術的乃至学術的欲求から生れたものではなく、寧ろそれとは反対な卑俗極まる趣味の発露に過ぎないからである。
 試みに、所謂学生劇なるものゝ本体を突き止めて御覧なさい。少し「頭の佳い学生」は、白粉を塗つて「役者の真似」なんかしたがりはしませんから(素人劇については別に意見がある)。
 然しながら、文部大臣が青年教育に目覚め、民族文化の正しい指導者たる実を挙げる為めには、もう一歩踏み出さなければならない。
 学校劇を禁止するもいゝ――その効果は別問題として。
 たゞそれと同時に、先づ国立演劇学校を設けなければうそだ――学生の軍事教育などより前に。

「シネマの向上をはかる為めに、文芸物を専門に見せる文芸活動写真協会生る」とのこと。耳よりな話である。
 処で今日まで、文芸活動写真として紹介された映画は、その原作者の名に於いて、標題のもつ親しみに於いて、主題の美しさに於いて、勿論、通俗的フイルムの馬鹿馬鹿しさに比すべきではないが、之を以て直ちに活動写真の進むべき道となすことは、恐らく映画芸術の本質を無視したことになるであらう。
 外国文芸紹介の一助としてこれらの映画を輸入することは相当の意義がある。
 真にシネマそのものゝ芸術的向上をはかる為めなら、必ずしも文芸物と限る必要はない。仏国でいふなら、アベエル・ガンスの『車輪』の如き、文学より独立した映画芸術の佳作も少くない。かういふものを是非加へて欲しい。

 鶴屋南北の全集が出るので、僕も予約募集に応じようかと思つて見たが、今日まで、締切間際までまだ決心がつき兼ねてゐる。
 日本で、芝居でも書かうといふものが、自国の古典劇作家を読んでゐないとは抑も不都合な話しで、恐らくシェクスピイヤ、ゲエテ、ラシイヌ、モリエールなどを読むより得る処は多いかも知れないに拘はらず、どうも近松とか、南北とか黙阿弥とか云ふ名に接しても、さほど親しみがもてないのは、やつぱり西洋中毒の結果に違ひない。
 処で、考へて見ると、そんなら現代の日本劇作家で、誰が本邦古典劇の芸術的伝統を承け継いでゐるか、そして、その伝統が、如何に西洋劇の影響の裡で光つてゐるかと云へば、これは一寸、返事がしにくい。
 仮に山本有三氏のうちに近松が、谷崎潤一郎氏のうちに南北が、菊池寛氏のうちに黙阿弥があるとする。それは、多分、これらの諸氏が有つてをられる処の一番佳いものではないだらう。それはそれでいゝから、かういふ人々の口から、或はもつと若い、能島武文氏とか、関口次郎氏とかの口から、おれの最も親炙する劇作家は、例へば鶴屋南北だ――といふやうなことを云ひ出す時代が来ないものだらうか――ポルト・リシュがラシイヌの直系とし…

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