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棣棠の心
やまぶきのしん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集19」 岩波書店
1989(平成元)年12月8日
初出「ゆかり」改造社、1924(大正13)年12月25日
入力者tatsuki
校正者Juki
公開 / 更新2009-02-03 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 ファルギエール通りの貸本屋で、「マリイへの御告」を借りて来て、それをモンパルナスの墓地で読んだ――クロオデルを初めて知つたのはその時である。
 ボオドレエルの死像の前に菫の花束などが置いてあつた。
 なるほど、これは違つた世界だ――さう思つた。
 やがて、喪服を着た若い女の、つゝましい瞬きに心を惹かれた。
 ――然し、その女は「天刑病者の接吻を受けた女」に似てゐた。

 アール・エ・アクシヨンのスチュヂオで、ララ夫人の「正午の分配」を聴いた。
 それは一つの啓示であつた。

 ――そこに、劇詩人としての「非凡な息」を感じた。

 俳優の「人間臭さ」は、しばしば、その扮する人物を「人間らしさ」から遠ける。

 クロオデルの戯曲中に現れる人物は、極めて「人間臭からざる人間」である。
 それが、最も「人間らしき人間」だと、どうして云へないだらう。
 ――その証拠に、彼等はわれわれの如く生きてゐる。
 少くとも、その時から、わたくしの心に生きてゐる。

 ――Seigneur, que nous[#挿絵]tions jeunes alors......le monde n'[#挿絵]tait pas assez grand pour nous――
 彼は予言者であるよりも詩人だ。
 ――それでいゝではないか。

 わたくしは嘗て「芝居を書くと云ふことのうちには、芝居を観る楽しみも大方含まれてゐる」と云つた。
 クロオデルの戯曲を読んで、「クロオデルが観つゝある芝居」のユニックな魅力を感じないものがあらうか。

「我等の偉大なるクロオデル」とフランス人の或るものは云ふ。
「君等の偉大なるクロオデル」とわたくしは云ふことができる――お世辞でなく、皮肉でなく、まして見栄からでなく。

 クロオデルが日本に来た。仏国大使として日本に来た。
 ――諸君、彼に先づ瞑想の時間を与へよう。



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