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新劇協会の舞台稽古
しんげききょうかいのぶたいげいこ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集19」 岩波書店
1989(平成元)年12月8日
初出「演劇新潮 第二年第一号」1925(大正14)年1月1日
入力者tatsuki
校正者Juki
公開 / 更新2009-04-04 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 初日の予定を変更して舞台稽古を見せた新劇協会――これはいろいろの意味で問題になる。が、それはそれとして、僕は、新劇協会が、新しい成長の第一歩――、毎月定期公演の第一回上演目録に、正宗白鳥氏作「人生の幸福」を選び、前回の成功と反響とに、劇団の来るべき運命を托さうとした、その企図を、悪意なく諒察することができる。
 僕は、初めて、舞台にかけられた「人生の幸福」を観た。こゝで脚本の批評は見合せる。僕は非常に面白かつた。が、無条件に感服はできなかつた。
 演出者の理解は、まづあそこまで行けば十分であらう。演出者が、何より大事なものを生かしてゐる――これは近来、珍らしいことである。作者と人物と俳優とが一体になつてゐる。一つの生命を呼吸してゐる。見事だ。
 評論はやめる。もうその時機ではない。
 岩野泡鳴作「閻魔の眼玉」――諷刺劇である。フアルスである。頭の鋭さは処々見える。機智が重苦しい。心理の陰影が稀薄だ。冗長な説明がうるさい。趣味が粗雑だ。凡庸な戯曲作家である。
 演出上の工夫には、破綻がない。まづ綿密と云ふべきであらう。それ以上に出て、此の舞台から何が生れるか。
「人生の幸福」を小説家正宗白鳥氏に求めて成功し、「閻魔の眼玉」を再び小説家岩野泡鳴に求めて失敗した。名小説家、必ずしも名戯曲家ならずとの結論を引き出す前に、もう一度、「人生の幸福」一篇の「劇的本質」について、深く想ひを凝らす必要はないか。
 初日、即ち最後の舞台稽古日には、武者小路氏作「張男の最後」はやれなかつた。見落して残念であるが、二度行く機会はなかつた。
 新劇協会は、今日、われわれの有つ唯一の新劇上演機関である。築地小劇場が、外国劇の演出に特殊な努力を払ひつゝある間、われわれは、現代日本の生んだ新作戯曲を、同志会館の舞台以外では殆ど見ることができないのである。
 僕が新劇協会の提灯をもつことは少しも不思議ではない。畑中氏は僕の知人である。
 新劇協会のこれからの仕事、それはわからない。が、此の一座には、少くとも二三の頼もしい俳優がゐる。舞台監督の技倆も信頼するに足ると思ふ。此の上は、劇団存立の基礎を固めるにある。内外の宣伝が必要である。求めて直ちに得られるものは劇界有志の後援である。精神的助力である。僕は切に、新劇協会宣伝部の自発的活動と、一般劇評家の熱誠ある協賛を希望する。殊に、「新しき演劇」を渇望する若き好劇家の、同情と理解に満ちた声援は、一畑中蓼坡氏の事業を助けること以上に、「われわれの演劇」をして、頓にその成長を早からしめるものである。僕は、最後に、新劇協会文芸部に対して、上演脚本選定に関する宣言書の発表を希望する。統一ある上演目録の作製を忽せにして、劇団の芸術的存立は覚束ない。流派と傾向とは問題でない。何を以て「優れた戯曲」となすか。これを声明すべきである。



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