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女七歳
おんなななさい
作品ID44345
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集19」 岩波書店
1989(平成元)年12月8日
初出「文芸春秋 第三年第四号」1925(大正14)年4月1日
入力者tatsuki
校正者Juki
公開 / 更新2008-11-29 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 彼は彼女を愛してゐるやうに見えた。
 彼女は彼を愛しかけた。
 彼は彼女を得た。
 S子が生れた。
 彼は彼女から遠ざかつた。
 彼女は待つた。
 彼は帰らなかつた。
 五度目の春が来た。
 彼女の父が死んだ。

 ――おぢいちやま……おんぶ。
 S子はよく夢を見た。
 S子は彼女に手を曳かれておぢいちやまのお墓なるものに参つた。

 彼女の兄が長い長い旅から帰つて来た。
 K伯父ちやまは黙つてS子を抱いた。
 K伯父ちやまの眼は怖わかつた。
 それでもS子は泣かなかつた。

 その夏――
 S子はヂフテリヤに罹つた――三度目の注射。
 S子は母ちやまの「おつぱい」を握つて、しづかに「蜂が刺す」のを待つた。
 K伯父ちやまはS子より先に泣いてゐた。

 恐ろしい或る日のこと――家の壁が崩れ落ちた。
 藤棚の下にS子のベツトが運び出された。
 母はS子の脈を取つてゐた。
 母ちやまの手は顫へてゐた――林檎が一つ、芝生の上に転がつてゐた。
 S子はひとり笑つてゐた。

 去年の秋――
 S子はまた肋膜を患つた。
 病院で一と月を過した。
「お人形を忘れて……」
 それを病院に持つて行くと、S子は顔をそむけて泣いた。
 ――いま連れて来ちや、いや……
 そしてまた泣き入つた。
 K伯父ちやまはS子の母に云つた。
「気をつけろよ、あいつはヒステリイだぜ」

 S子は男の子を馬鹿にした。
 S子はよく独りで遊んだ。
 K伯父ちやまはS子の母に云つた。
 「あの子はあれでいゝのかい」

 K伯父ちやまは座敷の寝椅子の上で本を読んでゐた。
 S子がそつと近寄つて来た。
 ――父ちやまが坊やを連れに来たらどうするの。
 K伯父ちやまは本を伏せた。
 ――行くのさ。
 ――母ちやまは。
 ――母ちやまも一緒に行くのさ。
 ――ふむ……坊や一人ぢやいやよ。
 K伯父ちやまはS子の頭を撫でようとした。
 S子はぷいと出て行つた。
 縁側で眼を拭いてゐた。

 S子は美しい少女になつた。
 その眼は、しかし、淋しい怒りを含んでゐた。
 S子は、七歳の彼女は――何時の間にか母の悲しみを悲しむ少女になつてゐた。

 母はS子の為めに毛糸の服を編んだ。
 S子はその側らで人形の服を編んだ。
 K伯父ちやまはぼんやり煙草を喫んでゐた。
 日が暮れようとしてゐた。
 ――明日は……
 母は、その先を云はなかつた。
 S子は今年から学校へ行く。
 S子は何もかも知つてゐる。
 そのまゝそつと大きくなれ。

 彼は彼女を愛してゐないことがわかつた。
 彼女は彼に会つた。
 彼はS子を見て黙つてゐた。
 彼は総てを忘れてゐた。
 彼は議論をした。
 彼女の兄は彼をやり込めた。
 S子は母の膝に縋つてゐた。
 時が流れてゐないやうに思へた。
 蠅が飛んでゐた。

 S子の眼は淋しい怒りを含んでゐた…

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