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厄年と etc.
やくどしとエトセトラ
作品ID4435
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第三巻」 岩波書店
1997(平成9)年2月5日
初出「中央公論」1921(大正10)年4月1日
入力者砂場清隆
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2003-11-29 / 2014-09-18
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 気分にも頭脳の働きにも何の変りもないと思われるにもかかわらず、運動が出来ず仕事をする事の出来なかった近頃の私には、朝起きてから夜寝るまでの一日の経過はかなりに永く感ぜられた。強いて空虚を充たそうとする自覚的努力の余勢がかえって空虚その物を引展ばすようにも思われた。これに反して振り返って見た月日の経過はまた自分ながら驚くほどに早いものに思われた。空漠な広野の果を見るように何一つ著しい目標のないだけに、昨日歩いて来た途と今日との境が付かない。たまたま記憶の眼に触れる小さな出来事の森や小山も、どれという見分けの付かないただ一抹の灰色の波線を描いているに過ぎない。その地平線の彼方には活動していた日の目立った出来事の峰々が透明な空気を通して手に取るように見えた。
 それがために、最近の数ヶ月は思いの外に早く経ってしまった。衰えた身体を九十度の暑さに持て余したのはつい数日前の事のように思われたのに、もう血液の不充分な手足の末端は、障子や火鉢くらいで防ぎ切れない寒さに凍えるような冬が来た。そして私の失意や希望や意志とは全く無関係に歳末と正月が近づきやがて過ぎ去った。そうして私は世俗で云う厄年の境界線から外へ踏み出した事になったのである。
 日本では昔から四十歳になると、すぐに老人の仲間には入れられないまでも、少なくも老人の候補者くらいには数えられたもののようである。しかし自分はそう思わなかった。四十が来ても四十一が来ても別に心持の若々しさを失わないのみならず肉体の方でもこれと云って衰頽の兆候らしいものは認めないつもりでいた。それでもある若い人達の団体の中では自分等の仲間は中老連などと名づけられていた。
 あまり鏡というものを見る機会のない私は、ある朝偶然縁側の日向に誰かがほうり出してあった手鏡を弄んでいるうちに、私の額の辺に銀色に光る数本の白髪を発見した。十年ほど前にある人から私の頭の頂上に毛の薄くなった事を注意されて、いまに禿げるだろうと、予言された事があるが、どうしたのかまだ禿頭と名の付くほどには進行しない。禿頭は父親から男の子に遺伝する性質だという説があるが、それがもし本当だとすると、私の父は七十七歳まで完全に蔽われた顱頂を有っていたから、私も当分は禿げる見込が少ないかもしれない。しかしその代りにいつの間にか白髪が生えていた。
 それから後に気を付けて見ると同年輩の友人の中の誰彼の額やこめかみにも、三尺以上距れていてもよく見えるほどの白髪を発見した。まだ自分等よりはずっと若い人で自分より多くの白髪の所有者もあった。ある時たまたま逢った同窓と対話していた時に、その人の背後の窓から来る強い光線が頭髪に映っているのを注意して見ると、漆黒な色の上に浮ぶ紫色の表面色が或るアニリン染料を思い出させたりした。
 またある日私の先輩の一人が老眼鏡をかけた見馴れぬ顔に出会した。そし…

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