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あの日あの人
あのひあのひと
作品ID44367
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集20」 岩波書店
1990(平成2)年3月8日
初出「演劇・映画 第一巻第三号」1926(大正15)年3月1日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-03-25 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一九二二年の暮れ、スタニスラウスキイの率ゐるモスコオ芸術座の一行が巴里を訪れた。
 その開演の前夜シャン・ゼリゼエ劇場主、エベルトオは盛大な歓迎会を同劇場内に催して、一行を巴里の劇壇に紹介した。
 其の夜の光景は、私の終生忘れ難きものゝ一つである。スタニスラウスキイを中心に、チエホフ夫人、カチヤロフ、モスコオフィン等の名優を始め、一座の俳優が舞台の中央に居並び、右手には、エベルトオと共に、自由劇場の創始者、老アントワアヌが控えてゐる。左手に一人、前かゞみに、両手を組み合せて立つたのが、ヴィユウ・コロンビエ座の首脳、ジヤック・コポオであつた。参会者は見物席の土間に満ちてゐた。エベルトオの挨拶がすむと、アントワアヌはその岩のやうな身体をスタニスラウスキイの方に進めて、
「吾が親愛なる友、而して、敬慕する偉人」と、呼びかけた。
「私の求め、望み、而して、実現し得なかつたものを、あなたは、あなたの才能と、人格に依つて実現されたのである。」
 その熱と、力に満ちた語調は、彼の自由劇場回想録を読んだ者の胸を刺さないではゐなかつた。
「私は仏蘭西劇壇の前途の為めに、あなた方御一行の遠来を感謝します。有難う」アントワアヌの声は異様にふるえた。
 世界第一と称せられる劇壇の指揮者、白髪の巨人、スタニスラウスキイの前に立つて「吾が友」と呼び得るアントワアヌの心持に反し、コポオは流石に胸を躍らせてゐるやうに思へた。(こゝで私は、自分の想像が事実をまげる事を恐れる)コポオは演説を準備してゐた。然し其の朗読は平常のコポオを知つてゐる者なら、決して立派な出来栄えであつたとは云はないだらう。たゞその論旨は、芸術座への讃辞として、理解と感銘に満ちたものであつた。
 最後に、スタニスラウスキイが満面に微笑をたゝへて、一行の中央から進み出た。
「私は、今、諸君の御言葉を聞き、全く、身の置き所を知りません」と、それは至つてナイーヴな仏蘭西語であつたが、これが、此の真純な天才の言葉に、一層の魅力を添へた。
「私が演劇に趣味を持つたのは、巴里に再三来たお蔭であります。また、私共が、露西亜劇壇に何か新らしい物を与へたとすれば、それは悉く、近代劇の開拓者アントワアヌ氏に負ふてゐると云はなければなりません」満場の拍手を心持よく受けながら、「私は、まだ、ヴィユウ・コロンビエ座の仕事を見てゐませんが、其の名声を通じて、常に、その努力を認めて居たのであります」
「私共は仏蘭西の劇壇に対して、少しでも、教訓を垂れやうと云ふやうな野心は持つて居りません。私共がなしつゝある事を、たゞ、見て頂けばいゝのであります」
「こゝで、お断りして置きたい事は、私共が露西亜語で芝居をやる為に、多くの方々は、多くの露西亜語を解しない方々は、それでは興味の大部分が失はれやうとお思ひになるでせう。然し、其の御心配は無用であります。私共…

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