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演劇漫話
えんげきまんわ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集20」 岩波書店
1990(平成2)年3月8日
初出「都新聞」1926(大正15)年8月17日~26日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-03-31 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一、新劇と旧劇

 現今、芝居好きと称する人のうちで、旧劇はつまらないと云つて見に行かない人もあるでせう。しかし、それは極少数の「新しがり」に限られてゐると云つてよろしい。之に反して、新劇は見るに堪へないと公言して憚らない人のうちには、相当、見識のある芸術愛好者が、可なり多くあることは事実です。
 旧劇は一概につまらないと云ふ側の人々は、旧劇には優れた文学が無いからといふ理由を挙げるでせう。しかし、旧劇は、今日ではもう立派に文学の羈絆を脱してゐる完成品です。たゞ、旧劇俳優のうちには、その旧劇独自の存在理由に着眼せず、徒らに、「旧劇の文学」に心酔して自己の世界を狭め、自己の芸術を低調ならしめてゐる自称新人の多いことは遺憾であります、従つて、之等の旧劇界の新人等は、たまたま新劇に手を染るに当つても殆ど常に、最も旧劇的な新劇、云ひ換へれば常識的感情を基調とする作品にのみ向はうとする愚かさを繰返してゐます。
 新劇は見るに堪へないといふ連中は、新劇にとつて、必ずしも敵でありません。なぜなら、彼等のうちには、「よりよき新劇」の出現を待ち望んでゐる人もあるでせうから。殊に、今日、新劇団と称する如何はしい蜉蝣的存在を無視することは、決して、新劇そのものを無視することにはならないからです。
 新劇とは、云ふまでもなく、西洋劇の影響を受け、現代文学の思潮を根柢とする演劇運動を指してゐます。
 戯曲の方面では、最近、相当目星い作品を生んでゐますが、舞台的には、まだ新劇を演じるために必要な才能と教養とを兼ね備へた俳優がゐません。従つて、大部分は素人です。その上、彼等には、御手本がない。先生がない。絶えず同じことを繰り返してゐて進歩しないのも無理はありません。

     二、新劇と云へないもの

 新劇は現代劇でなければならないと限つてはゐません。しかし、現今、新作時代劇と云はれてゐるものゝうちに、新劇の名に応はしい作品、舞台が、いくつありませう。「藤十郎の恋」や、「坂崎出羽守」や、「お国と五平」や、「伊井大老の死」や、「息子」や、「大仏開眼」や、「生きてゐる小平次」や、「玄朴と長英」や、これら、現代の日本劇壇が生んだ評判の時代劇は、多少とも、旧劇にないものを含んではゐますが、之等は畢竟、旧劇の畑にみのり得る果実であると、私は信じてゐるのです。それで、かういふ種類の作品は、所謂新劇の将来にあまり多く寄与する処のない作品であります。
 それからまた、現代生活を取扱つてゐればなんでも新劇かと云へば、さうとも限つてはゐません。新派劇は別として、毎月発表される戯曲を見ても、これはどう演出をすれば新劇になるのかと思はれるやうな作品があります。それは何れも、芝居といふものゝ常識から一歩も脱け出てゐない作品だからです。それはたゞ、人物が類型的だと云ふに留まりません。「作者の観てゐる芝…

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