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「追憶」による追憶
「ついおく」によるついおく
作品ID44388
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集20」 岩波書店
1990(平成2)年3月8日
「時・処・人」 人文書院
1936(昭和11)年11月15日
初出「文芸春秋 第四年第九号」1926(大正15)年9月1日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-03-31 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 八月号で芥川竜之介氏の「追憶」といふ文章を読み、誰でも同じやうな追憶をもつてゐるものだといふことを知り、転た感慨を催した次第であるが、昨日、K社の山本氏に会ひ、たまたま芥川氏の近況を知ることを得た。それで本誌への責ふさぎかたがた、この一文を草することにした。病床にある同氏への御見舞ともなればこの上もない幸せである。

     幼稚園

 僕の通つた幼稚園は、四ツ谷の津の守坂にあつた。今はもうあるまいと思ふが、大きな椎の樹が遠くから見えた。椎の実が落ちる頃、僕はよく風邪を引いて休んだ。
 僕のおやぢは、その頃陸軍の大尉だつたので、僕にも軍服をそのまま小さくしたやうな服を著せたものである。しかし、袖の筋は二本しかつけてくれなかつた。おやぢのは、いふまでもなく、三本だからである。
 幼稚園への送り迎ひをしてくれた女中は、なかなかの才女で、僕に百人一首を暗誦させたのださうだ。
 僕は、途中で一度うんこがしたくなつた。彼女は、顔をしかめてゐる僕に「柚の皮、柚の皮」と云つてお尻を叩けと教へた。小さな陸軍中尉は「柚の皮」を連呼しつつ、津の守坂を下つた。

     ブランコ

 その頃、僕の家は、塩町にあつた。だから、遊びに行くといへば、青山の原か、乳屋の原である。乳屋の原とは、今の荒木町一帯を指すらしく、その頃は不見転芸者などゐたかどうか、兎に角、牛がモーモー鳴いてゐたのである。その原にブランコがあつた。
 そのブランコから落ちて、怪我をした時のことである。傍らで風船をついてゐた少女が、その風船を僕の額の傷口に押しあてて、なんとか優しいことを云つてくれたのを覚えてゐる。その少女は、たしか、染物屋の娘である。今はさぞいいお神さんになつてゐるだらう。

     相撲

 僕もよく相撲を見た。しかし、両国まで出かけて行つたことはめつたにないらしい。大方は招魂祭の余興相撲であつたらう。見物は軍人とその家族が、大部分であつたやうに覚えてゐる。梅ヶ谷が常陸山に負けて、べそをかいてゐた――と、僕はその時信じてゐた。負けても土俵の上に頑張つてゐて動かない、小緑といふヘンな男がゐた。

     画家

 小学校に通ひ出して、一家は左門町に引越した。向ひ側にMといふ同級生がゐて、そのお父さんが画家だつた。それは日本画の方に相違ない。襖だと思つてゐたのは、今考へると屏風で、草の葉の間を蛍が飛んでゐる画を描いてゐた。先づ小さな丸い紙片を処々に貼つて、その上を一面に薄墨で塗り、あとで紙片を剥がすと、蛍の尻ができてゐる。それから、月を描く時、茶碗をふせて、そのまわりにやはり、墨を塗りつけた。「ずるいなあ」と思つた。

     痴情沙汰

 風呂場が騒々しかつた。朝である。
 母の後ろからなかをのぞくと、女中のよしが、壁にもたれて泣いてゐる。馬丁のオカドが右手に木鋏を持つて、そのそばに立つ…

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