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新劇運動の二つの道
しんげきうんどうのふたつのみち
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集20」 岩波書店
1990(平成2)年3月8日
初出「演劇新潮 第二巻第四号」1927(昭和2)年4月1日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-11-21 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「新劇運動」といふ言葉の意味は様々に用ひられてゐる。それは、しかしながら、常に、所謂「新劇」といふ言葉の内容から生じる区別であると同時に、「運動」なるものゝ本来の性質が極めて漠然としてゐるところに基因してゐるやうに思はれる。
 現在、日本で呼ばれてゐる「新劇」とは、歌舞伎劇及び新派劇に対するもので、その特色とする処は、「欧米近代劇の流を汲む」といふことである。然るに、今日まで、此の種の劇が劇壇の主流となり得ない事実の前に、凡ゆる苦悶が続けられてゐる。此の苦悶を、「新劇運動」と呼ぶならば、正に、欧米の所謂「新劇運動」なるものと、著しくその趣を異にすべきである。
 欧米に於ける「新劇」とは、それは、最早、近代劇の別名ではない。従つて、此処に一人の「新劇運動者」なるものが現はれたとすれば、それは最早「近代劇」の樹立を標榜するものではなくて、既に近代劇の名によつて総称せらるべき、既成演劇から、一歩、何か知ら「新しきもの」への躍進を志してゐるのである。そして、その傾向が近代主義的であり、又は本質主義的であることには関係なく、何れも、所謂「先駆的」精神に支配されてゐることは云ふまでもない。そして此の意味に於ける「新劇運動」が我が国でも、夙に築地小劇場、心座、前衛座等の手によつて、少くとも、これらの劇団の仕事の一部として、われわれに光輝ある未来を提示してゐることは周知の事実である。
 然しながら、私は、築地小劇場が、その一方に於て努力しつゝあるやうな、別の意味の、現代日本の特殊な事情が生んだ「新劇運動」――即ち、「近代劇の普及」なる一見生彩のない仕事をも甘んじて続けて行く忍耐が必要であると思ふ。

 新劇協会は寧ろ、今、此の方面で、その努力を識者から認められようとしてゐる。
 勿論、私なども、その当事者の一人として、此の劇団を本質的な演劇革新運動の先頭に立たせたい意気込はもつてゐるのであるが、その運動たるや、一朝一夕にして効果を挙げることは困難である。何となれば、毎に云ふ如く、その仕事は、先づ俳優の根本的訓練から始めなければならず、しかも、その訓練に適し、その訓練に堪え得る俳優志望者を得ることは、現在容易でないからである。
 新劇協会は、事実、いろいろな意味で恵まれない劇団である。しかしながら、唯一つ幸ひなことには、「よきもの」であれば、何でも受け容れる劇団である。そのことだけによつて成長しようとしてゐる劇団である。一つの形式を固守しようとしないで、その流動性を活かし得る劇団である。よい仕事でさへあれば、何人がそこで、何事をしようと、それは自分の仕事と呼び得る劇団である。
 さういふ種類の劇団が、日本に唯一つ存在することは、われわれ演劇研究者、乃至愛好者にとつて何と必要であり、便利であり、悦ぶべきことではないか。此の劇団の「意志」は大いに尊重されていゝものである。
 われ…

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