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新劇の危機
しんげきのきき
作品ID44404
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集20」 岩波書店
1990(平成2)年3月8日
初出「読売新聞」1927(昭和2)年4月5日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-11-21 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 震災後擡頭した新劇運動の目覚ましい機運は、私の観るところ、あまり順調な進み方をしてゐないやうに思はれる。それは「続いてはゐるが、進んでゐない」といふことである。
 なるほど、僅か二三年にこれほど眼に見えた進み方をするわけがないといへばいへるであらうが、それなら、「進まうとする」気配さへ見えないのはどうしたものか。
 私は、新劇の舞台的完成が、必ず確固たる経済的基礎の上に築かれなければならないといふ議論に与することはできない。また、ある種の人々の熱意からのみ生れるものだとも信じてゐない。まして戯曲の内容や、監督術の傾向が舞台を左右するとは夢にも思つてゐない。
 私はただ、一時代の文運が、一人の天才作家の出現によつて華々しい光輝を齎す如く、現代日本の新劇は、一人の――と云へば語弊もあらうが――少くともいくたりかの俳優、真に俳優らしき俳優の誕生によつて、殆ど決定的に「新しい魅力」を発揮するだらうと思つてゐる。
 ところが、俳優に必要なものは才能だけではなく、才能を生かす「器具」である。彼等が、「俳優としての修業」に於て誤つた道を踏んだなら、その才能は空しく涸渇してしまふだけである。
 何故に彼等は「声」をもたないか。何故に彼等は「歩くこと」がまづいか。何故に彼等は「聴くこと」に怠慢であるか。何故に彼等は「語の価値」に鈍感であるか。何故に彼等は台詞を「感じ」ないか。何故に彼等は自ら人物を「コンポオズ」し得ないか。何故に彼等は舞台の詩とプラスチックについて、初歩の概念さへもつてゐないか。何故に彼等は、ああ面倒臭い、何も知らないのか!
 私は、自分が一個の劇作家であるといふ立場を離れなければ、実際、かういふことは云へないのだ。さうでなければ、私はあまりに不遜の譏りを免れないであらう。
 また私は、自分が一緒に仕事をしてゐる人々や、現在真面目に、熱心に、その道の研究を続けてゐる一部の新劇団に向つて、かういふ言葉を投げかけてゐるのではない。私は寧ろ、世間が、所謂現在の新劇なるものに対して加へつつある一種の嘲笑に応へたいのである。「何故に諸君は、新劇俳優の歩かうとしてゐる道を塞ぐのか」と。かう反問はしても、どうせ、その返事などを聴かうとは思つてゐない。
 新劇俳優養成の一事が、今われわれには残つてゐる。しかも、その結果は露天で草花を造るほど頼りない気がする。
 天よ、新劇の危機を救へ!



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