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新劇自活の道
しんげきじかつのみち
作品ID44409
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集20」 岩波書店
1990(平成2)年3月8日
初出「新劇協会 第一号」1927(昭和2)年6月5日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-11-17 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 日本の現状は、まだ新劇の自活を許さないと云はれてゐるのですが、その理由は、言ふまでもなく新劇なるものを進んで観ようとする見物が少いからです。
 勿論、西洋諸国に於ても、先駆的傾向の著しい劇場は、常に経営難に陥つて、絶えず悪戦苦闘を続けてゐるのですから、日本だけがさうだとは云へませんが、それは、既に、西洋では、民衆の欲求と趣味に応じた「現代の演劇」をもつてゐて、その時代より一歩進んだものを求めるのは、常に少数の選ばれた人に限られてゐるからです。
 然るに、日本には、「現代の演劇」がない。一般民衆の好んで観る演劇は、実に時代の生活と縁の遠い歌舞伎劇乃至、その伝統を脱しきらない俗劇であるといふに至つては、誠に不思議な現象だと云はなければなりません。
 われわれは、何処の舞台で、われわれの悲しみとする悲しみを、われわれの喜びとする喜びを見せてもらへるのですか。
 新劇協会は、必ずしも少数の「演劇研究者」乃至「文芸愛好家」のみを顧客とする先駆的新劇団体ではありません。否寧ろ、従来の所謂「面白くない新劇」から離れて、なるべく「解りいゝ」脚本を、成る可く「上手に」演じて、成るべく「面白い舞台」を作り上げようと骨を折つてゐるのです。従つて、芝居の好きな人なら、きつと――そのうちには、きつと好きになれるやうな芝居をやらうと思つてゐます。それにしても、芝居といふものを窮窟に考へて、例へば、かういふやうなものでなければ芝居ではないと思つてゐる人は、新劇協会の芝居を観て、きつと初めは、「あれが芝居か知ら」と思ふでせう。さういふ人は、是非、もう一度観に来て下さい。少しづゝ、「なるほど、これも面白い」と思ふやうになるでせう。
 さうなれば、新劇協会は、自活できるのです。いや、日本の新劇は、先づ、自活の道を見出すのです。
 日本の新劇が自活の道を見出すといふことは、即ち、日本に「現在の演劇」が生れることです。日本も、西洋並に、「新しい文化」をもち得るのです。



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