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六号記
ろくごうき
作品ID44430
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「文芸懇話会 第一巻第二号」1936(昭和11)年2月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2005-03-27 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 どうにもならぬことを、ひとりぶつぶつ云つてもしようがない、と思ふやうになつてゐることは事実である。誰でも考へてゐるやうなことを、わざわざ口に出して云ふのは、野暮の骨頂だ、といふ風にも教へられてゐる。が、しかし、どうにもならないとは、一体、いつからきまつてしまつたのであらう? 当り前でないことが当り前で通るやうになつたのは、誰もが考へてゐるだけで、公然とそれを云はないからではないかと、私は近頃しきりにそそのかされるやうな気持になつて来た。

 では、どういふ風にそれを云つたらいいか、誰に向つてそれを云ふべきか、先づ何から云ひ出したものであらうか?
 ひとつひとつを取り上げると、さも「小さなこと」に似てゐる。そんな小さなことではないと思ふのだが、それを「大きなこと」に結びつけると、話が空漠として誰の胸にも響かなくなりさうだ。わかるものにはわかるに違ひないが、わからせたい人間がびくともしないにきまつてゐる。

 私は、いま、自分の仕事のことを楽しく考へる習慣を失はうとしてゐる。仕事をしてゐさへすればよいのだ、といふ自信がもてないのだ。勿論、かういふ時代に、わき目もふらず自分だけの仕事に没頭し得る人達を尊敬し、羨むことは、さういふ人達の仕事が立派である場合に殊に文句はないのであるが、私は、不幸にして、演劇といふ専門を撰んだためか、自分だけの仕事ではすまされない境遇におかれてゐる。自然、われわれの成長を阻む一切のものを、単なる現象として、冷やかにこれを視過すことができないのであらう。
 この不安焦慮は、煎じつめると、日本といふ国はこれでいいのだらうかといふことである。嗤はずに聴いてほしい。芝居なんかどうなつてもかまはない。日本が住むに堪えないといふことは、眼かくしをされた人間どもにはわからない。
 世界は今不安の時代だ、といふやうなことを誰でも云ふ。しかし、その不安は、自分の国に愛想をつかさせるやうなものであらうか? 祖国を逃れて安住の地を求めるなどは、恐らく何人にとつても夢であらう。放浪を思ひ立つ以外、眼を瞑るのが当世の気運である。

 われわれは所謂、現代社会の機構について様々な論議を聴いた。最近の政治的動向といふ題目にも注意した。恐らく、何人も今は、新しい時代の精神が何に向つてゐるかを知らぬものはないであらう。
 が、私は、世界共通の問題について語るためには、それだけの知識を欠き、また、それだけの資格が与へられてゐないといふ気がする。私はただ、欧米の二三の国々と、わが日本とを比較するだけの材料をもつてゐるだけである。
 文学といふものが、人間の最も貴重な仕事の一つであるとすれば、その文学を見事に育て上げた民族とその文化の特質が、なんであつたかを考へてみないわけには行かないだけである。
 第一に云つておくが、われわれは、日本人を素質的に優れた民族だと信じてゐる。…

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