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演劇アカデミイの問題
えんげきアカデミイのもんだい
副題国立俳優学校の提唱
こくりつはいゆうがっこうのていしょう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「帝国大学新聞」1936(昭和11)年11月2日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-11-22 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

 演劇と映画とはどんな関係にあるか? これを理論的にでなく、実際的に、私は考へてみる。西洋では、演劇が先に生れ育ち、映画は、そこから養分と材料を仕入れたのである。日本では、在来の演劇が、新しい映画に何ものを提供したか? なにも提供してゐないと云つていゝ、若干の橋渡しにしたかも知れぬが、それが却て、今日、日本映画の健全な発達を妨げてゐるのである。といふことは、日本の演劇が、所謂「新劇」を含めて、映画より一歩も進んでゐないといふことである。意図に於ては格段の違ひがあるが、実質に於て、先輩面はできないのである。何が欠けてゐるか。簡単に云へば、俳優である。舞台の経験が、本格的訓練を伴つてゐないために正しい演技の感覚を喪失してゐるのである。
 ところで、現在では、新劇といふものは、その純粋な文化的使命にも拘らず、実際に於て、大衆にも、資本にも、国家の権力階級にも見はなされてゐる。これは困つたことだが、責任のもつて行きどころがない。つまり不覚な失策のために信用を堕した人間のやうなものである。個人的には名誉恢復もできるだらうが、事「運動」に関しては呼びかける相手がないのである。私の意見では、こゝでひとつ、戦術を変へてみるより外はないと思ふ。つまりそれは、時代の寵兒たる「映画」を先頭に立てることである。幸ひこの弟は兄貴思ひである。大きくなつたらきつと兄貴の苦労を察してくれるであらう。
 といふとなんだかじめ/\弱音を吐くやうだが、決してさういふわけではない。今日、映画を育てるといふことは、やはり、演劇と共通なものを育てるといふことになると云ふ意味である。

       二

 さて、映画ならば肩を入れようといふものに、現在、資本家の外に、国家と民衆があるのである。どういふ風に肩を入れて貰ふか、それは、映画関係者と共に、われわれも注文を出す権利があると思ふ。合理的で、且つ、永久性のある俳優養成機関を先づ第一に作つて貰ひたい。
 なぜかといへば、もう既に、今日の情勢では、既成の映画会社は勿論、演劇の如何なる組織も、それが民間の事業である限り、われ/\が求めるやうな人材を吸収する条件を具へることは困難だといふことである。官尊民卑の弊風にその原因を帰することは容易であるが、これを是正する方策は演劇運動の線とは凡て離れたところに存在するやうである。
 国民の気風が改まるのを待つ意志と、日本の新文化建設途上に於けるアカデミズムの功績を認める寛容さとを、同時に示すことは決して矛盾しないと信ずるから、私は、寧ろ、かの美術と音楽に対して与へた明治政府のインテレストを、演劇映画の部門に於て、遅まきながら今日、昭和非常時の統制気運のなかにみることを切望するものである。
 こゝで、はしなくも思ひ起すのであるが、かのナポレオンは、モスクワ遠征の陣中に於て、有名な「国立劇場条令」…

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