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芝居と僕
しばいとぼく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「劇作 第六巻第一号~第九号」1937(昭和12)年1月1日~年9月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-18 / 2014-09-21
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

 今更回顧談でもないが、今度「現代演劇論」といふ本を出したあとで、僕は、なんだかこれで一と役すましたといふ気がふとしたことは事実である。これからまだあとにどんな役がひかへてゐるにせよ、それがまた今まで以上に満たされない結果に終るかも知れぬにせよ、ともかく、今日まで十数年の間、僕は、芝居のためにするだけのことはし、僕の能力で齎し得るだけの成果は収めたつもりである。もつとしたいこともあつた、やればできたかも知れないやうな仕事もあるにはあつたらうが、それらはすべて、熟慮の上、望み得る程度が、現在の諸条件に照して、あまりに低いものでありすぎる場合に、僕の熱情を掻き立て得なかつたまでゞある。云ひかへれば、自分が今そんなことをしても誰のためにもならぬといふ見極めをつけた上でのことなのである。
          ×
 僕は最初、文学に志し、偶然仏蘭西語を子供の時からやつてゐたといふだけの理由で仏文学をかぢり、仏文学を原統的に学ばうと思ひ立つて先づ古典作家を読みはじめ、その代表的な作品が戯曲であつたところから、劇文学に興味を持ち、仏蘭西へ渡る機会を作るに当つて、将来の職業のことも考へた結果、日本に於ける演劇界の現状に一瞥を投げる気になり、当時の新劇運動を若干の舞台を通じて観察した。「復活」、「修善寺物語」、「忠直卿行状記」並に「その妹」、強いて附け加へれば坪内士行の「ハムレツト」、これが渡仏前に観た日本演劇の殆んどすべてゞあつた。
 巴里で最初に訪れた劇場はサラ・ベルナアル座で、演し物はロスタンの「雛鷲」、一番前の列で、女優の凄いメーキアツプを孔のあくほど見つめてゐた。
 現代作家のものは多少は読んでゐたが、ロスタンとヱルヴイユウを当代の双璧と思ひ込み、或は思ひ込まされてゐたものゝ、本場の消息を探つてみると、少くとも、一癖ある批評家は、この二人を問題にしてゐないことがわかり、大慌てに慌てた。そんなら、やつぱりキユレルが偉いかと云へば、「あんなもの」といふ奴がゐる。ポルト・リツシユの人気も侮り難い。新進のものを漁りだすと、いろんな影響がわかつて面白い。ミユツセ、ルナアルの陰然たる勢力をすでに感じた。ベツクの姿も大きく映つて来た。イプセンの亡霊が、シエイクスピヤの亡霊と手を組んで歩いてゐる。モリエールの哄笑が忽ち耳をつんざく。巴里人の眼を追つてそつちを見ると、クウルトリイヌといふ好々爺が小声で群衆に話しかけてゐる。その傍らで、ブリユウが、腐りきつて頬杖をついてゐる。
 芝居は、本を読んで行かないと三分の一もわからない。見物が笑ふ時、こつちが笑へないくらゐ淋しいものはない。が、それでも、舞台を見て、はじめて作品のよさがわかるといふ気がした。当時の僕の、脚本の読み方が如何に覚束ないものであつたかといふ証拠になるだけではない。俳優といふものが、如何に脚本を活かす…

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