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日本映画の水準について
にほんえいがのすいじゅんについて
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「日本映画 第二巻第二号」1937(昭和12)年2月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-02 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 映画愛好者の分布がはつきり二つに別れてをり、一つは西洋映画フアン、一つは日本映画フアンであり、その間に、ほとんど共通な分子がなく、強いて求めれば専門の研究家ぐらゐのものだといふ事実を、日本の映画当事者はなんとみてゐるか?
 勿論、西洋映画フアンが悉く教養ある階級であるとも云へず、日本映画フアンがすべて無知識階級であるとも断言はできかねるが、大体に於て、西洋映画を求める序に、日本映画で満足する人々よりも、映画に対する鑑賞眼が高いばかりでなく、西洋そのものに魅力を感じ、西洋の人物と国情とにある種の憧憬を抱いてゐるのだと云へないことはない。かういふ連中は、多少外国語の素養もあり、若し外国旅行の経験がなければ、その機会の到来を待ち望み、現代日本の文化に対して、若干の批判をもち、無意識的にもせよ、風俗的に西欧の模倣者たることを誇りとしてゐるものがないではない。
 これに反して、日本映画の方に親しむ人々は、必ずしも保守的ではないかも知れぬが、西洋文化に対する興味や関心が薄く、日本の現状をそのまゝ享け容れる素朴さがあり、従つて、想像力と批評精神に乏しく、「知つてゐることしかわからない」頭脳の持主で、日本国民の「健実な(?)」部分には違ひないが、同時に頼りない附和雷同の徒である。

 私は、西洋映画の技術的芸術的優秀さの故に日本映画を一概に排斥するものではなく、また、日本映画の水準の低さのために徒らに西洋映画万能を唱へるものでもない。寧ろ、日本映画か西洋映画か、その何れかを取らねばならぬといふ今日の事情を悲しむだけのことである。
 日本映画も、いろいろと困難と戦ひながら、ともかくも、やゝ見るべきものが作られるやうになり、その興行成績も常にわるいわけではないと聞くにつけて、時代も徐々に移りつゝあるのだといふ感じがする。
 先日本誌で、フアンク氏の日本映画論を読んだが、なかなか適切なことを云つてゐると思つたが、実は、今更われわれは、同氏から「如何にすれば優秀な映画が作れるか」といふ教へを受ける必要はないのである。たゞ、当事者がそれを、欲し、プランを樹て、これを実行に遷せばよい時機なのである。

 先づ、経済的な立場から、市場の拡張もはからねばならぬことは自明の理で、それがためには、どうしても、より一層合理的な撮影所の機構を完備しなければならぬ。私は敢て云ふが、部分的にアイデイアだけでは駄目だ。根本的なシステムと人的材料の整備、訓練が必要である。

 既成の会社は、種々の関係で急速に改革は望まれないかもわからない。そこで、私の考へとしては、先づ、政府の負担に於て、民間の有為な技術家芸術家を網羅した研究機関を設立すべきである。この場合、外国の専門家を交へることが有利であらう。
 この研究機関は、一種の官立アカデミイの母胎となるもので、将来は、技術家(監督、カメラマン、録音技師、俳…

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