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旅の苦労
たびのくろう
作品ID44461
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「専売 第二九八号」1937(昭和12)年6月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-14 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 旅行は好きか、と、よく人に訊かれる。私はいつも、生返事をする。好きでないこともないが、さう楽しい旅をしたといふ経験もないからである。好きでないこともないといふのは、旅の空想を私は屡々するし、空想の旅は、一種の解放であるから、心おのづから軽やかならざるを得ぬ。
 では、実際に旅をして、なぜ楽しいと思つたことが少いかと云へば、これにはいろいろ理由がある。その理由はあとでつける場合もあるが、第一に、出掛けるといふことが実に臆劫である。前の晩までは大いに勇みたつてゐても、いざ朝になつて、口をあけた鞄をみると、妙に気持がしらじらとする。
 駅で切符を買ふことを考へ、汽車の時間はまだ大丈夫かと、飯を食ひながら時計など見てゐると、もう、うんざりしてしまふ。
 さういふ時、私の心を励ましてくれるのは、電話のベルである。――さうだ、この音に脅やかされないところへ行くのだ!
 先達も、私は、友達を誘つて、二三日新緑の山へ休養に出掛ける決心をした。ちやんと予定の時刻に、上野でその友達と落ちあふ約束をしておくと、その日の朝になつて、電話がかゝり――子供が急病だ。医者に一度見せて、大丈夫だと云つたら出掛けるが……と云ふことであつた。
 私は、子供の病気と聞いてひやりとしたが、また一方、やれやれと気がゆるむのを、無理に奮発して支度を整へ、早速彼の家をのぞきに行つた。取次に出た細君は、昨夜の看護疲れをみせながら、子供はやつと楽になつたらしいが、主人は、今朝早くから散歩に出ましてと、やゝ恐縮のていである。なるほど、徹夜をした朝は外の空気を吸いたくなるもので、その経験は私にもある。
「では、さういふお子さんのそばを長くはなれる場合ではありませんから、今度は、私一人で出かけます。何れまた、同道の機会を作りませう。」
といふわけで、そのまゝ上野へ駆けつけるつもりでゐたところ、予定の汽車に間に合ふかどうかあぶない。これに遅れると、信越線の準急は午後になる。軽井沢の奥まで行くのに日が暮れてはまづいから、赤羽まで時間をはかつて電車で行つた。これなら十分間に合ふことに気がついたのである。
 池袋の乗換はいゝが、赤羽でも、赤帽はゐず、長いプラツトフオームを重い鞄をさげて歩いた。大分ひまがかゝつた。鞄をおろして新聞を買つた。神風号の消息は?
 丁度そこへ、上野から列車がはひつた。遅からず早からず、計算どほりと鼻を高くして悠々二等車へ乗り込んだ。
 新聞を三種読み終ると、私は、畏友佐藤正彰君から贈られた翻訳小説ネルヴァールの「夢と人生」を鞄から取り出して、貪るやうに頁を繰つた。なかなか面白い。流石に発狂と発狂の間に書いた物語だけあつて、常人の寝言に似て非なるものである。
 時々窓の外に眼をやると、五月の野は、爽やかに緑の風を含んで、旅情、うたゝはづむ思ひである。
 もうどのへんに来たらうかと、気をつけてみて…

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