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上海で戦死した友田恭助君
しゃんはいでせんししたともだきょうすけくん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「読売新聞(夕刊)」1937(昭和12)年10月9日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-14 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 友田君の初舞台は新劇協会だが築地小劇場が出来て其メムバーになつたのが大体新劇俳優としてのハツキリした出発点である。友田君の存在が新劇界で重要なものになつたのは小劇場の分裂に際して左翼的傾向と対立的な側の一代表者になつたときからだと思ふ。ただ左翼劇全盛時代に彼としては自分の立場に立つて仕事をすることに色々悩みや困難があつたと思ふがそれが偶々自分で築地座を起すやうになつてから仕事の目標も非常にハツキリして俳優として他の新劇俳優と全く異つた、僕等からみればオーソドツクスの訓練に身を入れ出して着々効果が現はれ出した。その為に最近では新劇に於ける最も技術の勝れた俳優といふ定評を得るやうになつた。
 友田君の今日までの仕事のうちで我々の記憶に残つてゐるものとしては築地小劇場時代に「愛慾」の傴僂の夫と「どん底」の男爵などが思ひ出されるが、不思議なことに久保田(万太郎)氏の物となると決してミスしたことがない。先づ「大寺学校」の校長や最近では「釣堀にて」の老人などその芸は完璧といつてもいゝだらう。築地座を止める約一年位前から非常な飛躍を芸の上に見せてきて、「にんじん」のルピツクや「秋水嶺」の山口一作など最も油が乗つたものであつた。
 友田君は仕事に対して非常に熱心で殊に俳優としては天成の鋭敏な感覚をもつてゐたと僕は思ふがどちらかといへば純粋な芸術家肌で劇団を通さうとするやうな事業家的な面では必ずしも適任と云へなかつた。その意味から今度友田君を一個の技術家として迎へた文学座の仕事で十分才能を発揮して貰ひたいと考へてゐた矢先で我々としては相当大きな犠牲だと考へるが国家のため止むを得ない。
 要するに友田君は最近日本の新劇俳優として最も完成した俳優だつたと思ふ。将来日本の新劇が最も必要な指導者の一人を失つたことは我々一同非常に心淋しく感じる次第です。



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