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北支物情
ほくしぶつじょう
作品ID44465
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「文芸春秋 第十五巻第十四号」1937(昭和12)年11月1日、「文芸春秋 第十五巻第十六号」1937(昭和12)年12月1日、「文芸春秋 第十六巻第一号」1938(昭和13)年1月1日、「文芸春秋 第十六巻第二号」1938(昭和13)年2月1日、「文芸春秋 第十六巻第三号(事変第六増刊)」1938(昭和13)年2月18日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-18 / 2014-09-21
長さの目安約 146 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     旅行前記

 今度文芸春秋社が私に北支戦線を見学する機会を与へてくれたことを何よりもうれしく思ふ。
 特派員といふ名義であるが、私のやうなものがジヤアナリストとしての使命を果し得るかどうか疑問である。この点は、社でも多くの期待はかけてゐないらしいから、甚だ肩の荷が軽いわけである。
 私は、むろん、作家として眼近に戦争現地の面貌を凝視し、そこに想像を絶した天地の呼吸を感じるであらう。その印象をなるべく具体的に細かくノートするつもりである。
 こゝで断つておきたいのは、私がどれほど「客観的」であらうとしても、それは恐らく無駄であらうといふことである。云ふまでもなく、私は「日本人として」此の戦争に対する外はないからである。現実の報告が国家のためにも国民のためにも害あつて益なき場合、私はたゞ沈黙するのみである。第一に、私はこの戦争が先づ何よりも祖国に幸ひをもたらすものであることを祈る。犠牲はたゞそれのみによつて尊いのである。
 戦塵を浴びてはじめて疑問のはれることもあるであらう。私は軍人の家に生れ、自分も軍人として青年期を過し、今なほ在郷軍人としての覚悟はもつてゐる。私は、日本の軍隊が精鋭無比である理由を夙に学び知つてゐるが、日本人の性能プラス軍人精神といふものが実戦に於てどんな力を発揮するかといふことを、いろんな面で観察してみたい。つまり心理的にはその複雑さについて、道徳的には例へば勇気の質について、若干の考察をめぐらすことができるであらう。
 北支作戦の完全な成功をわれわれは信じてゐる。戦後に来るものはなにかといふことについて、今、人々は多く語つてゐるやうであるが、私には無論、そんなことを語る資格はない。たゞ、それぞれの専門家の言葉に耳を傾ける興味をもつてゐるだけである。従つて、私の眼で視、暇があれば適当な人物に訊して、現在この地方に動きつゝあるものを探り得るとすれば、それは、単に、日支両国民の共通の希望となるべき将来の文化的工作が如何なる意図と方法によつて築かれつゝあるかといふことである。
 この報告は、努めて厳正に且つ自由になされなければならぬと私は思ふ。国を挙げての決意と無名戦士の幾多の血によつて購ひ得たひとつの結果について、わが同胞は等しく責任を分たねばならぬからである。
 私の比較的親しくしてゐた友人の幾人かゞ相次いで召集に応じ、何れも立派な門出であつた。彼等のうちの三人が、つい二三日前、殆ど日を同じくして二人は戦死し、一人は重傷を負つた。感慨無量である。
 北支各方面の戦線に活躍しつゝある部隊名を、新聞で毎日のやうに見る。幼年学校や士官学校で机を並べてゐた連中が、それぞれもう聯隊長級で、軍記風に云へば、駒を陣頭に進めてゐることがわかつた。さぞ満足であらうと思ふ。
 幸ひに便を得て、これらの旧同僚の後を追ふことができたら、是非、その機会を逸す…

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