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新劇の行くべき途
しんげきのいくべきみち
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「東京朝日新聞」1938(昭和13)年2月6~9日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-14 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 事変下の所謂「思想統制」が演劇興行の上にまで及んで来たことは、これは止むを得ないものとして、われわれは寧ろ積極的に、その結果を本来の目的に副はしめるやう努力しなければならぬと思ふ。
 営利本位の劇場が、それぞれ上演目録の一部を「時局向き」に着色しはじめたことについては、今私は何も云ふことはない。つまり「思想」のないところに統制もなく、従つて思想的な影響力等といふものは考へられないから、別に今更問題にしなくてもいゝのである。
 しかし、新劇の領域では、少くとも、作家並に劇団は、真剣に、それぞれの立場に於て自分の仕事の可能性といふことを考へ、或は転向を覚悟し、或は自粛自戒を心掛け、更にこの機会に、希望をもつて新しい道を拓いて行かうとするなど、こゝのところ、少しばかり色めき立つてゐることは事実である。
 ところが、私の考へでは、今日までの新劇の歩みをふり返つてみて、新劇自身のために、この波紋は、必ずしも憂ふべき現象ではないといふ見透しのもとに、寧ろ、新劇当事者は勇気を奮ひ起すべき時期だと信じるのである。
 なぜなら、芸術こそは、現実の制約によつて常に新生命を与へられるといふことも忘れてはならぬことだし、日本国民たる自覚は、当局の配慮を俟つまでもなく、今日、常識ある人間の行動を支配することは理の当然だからである。
 但し「国家的見地」よりする言論の統制が演劇を通じて、如何なる程度に行はれるかといふことが、万一、国民の常識で測り得ないものだとしたら、これは由々しいことである。文学芸術の如き、云はゞ、「民衆自身」の、しかも、「民衆同士」の、裃を脱いだ感情表現のなかに、公式的の、上申書風の体裁を求めて、うつかり戯談も云へぬといふやうな固苦しさが必要だとされたら、国民は、立ちどころに呼吸をつまらせてしまふだらう。そんな筈はないとは思ふが、例へば、自由主義的な物の考へ方はいかぬといふやうな布令だしの如きは、故ら正当なるべき政治的意味を誤解させ、現代知識人の教養を真つ向から否定して、その思想生活の根を完全に止めてしまふやうに予想させるのである。
 それと同時に、善良な国民の大部をして、何か一定の「官許」とも云ふべき、思想以前の、辞令口上の如きものを、防毒マスクとして用意しなければならぬといふみじめな状態に陥れる危険がある。自由主義の弊害、病根は、よろしく、この国家非常時に際して、一掃すべきである。しかし、少くとも、科学芸術の領域において、健全な批評精神の萎微をもたらすやうな取締方法は、躍進日本の名において恥づべきであると信じるから、新劇当事者も、かゝる幻影におびえる必要は毫もないのである。
 形式においても、実質においても、挙国一致の体勢は見事に出来上つてゐるといふことを、我々民衆の一人として、明らかに互の心に読み、誠に気強く感じてゐる矢先、どこからともなく執拗な鞭の音を聞く…

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