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石を積む
いしをつむ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆88 石」 作品社
1990(平成2)年2月25日
入力者渡邉つよし
校正者門田裕志
公開 / 更新2002-11-25 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 徳富蘇峰先生の「鎮西遊記」の中に、水俣は昔から風俗のよい処、高山彦九郎が蘇峰先生の曽祖父につれられて、陣の坂を通るをり、道端の大石に、小石が山のやうに積みあげてあるのを見て不審したら、先生の曽祖父は旅人の不便を思うて、里人が道のべの小石を拾うたのだと答へた。彦九郎はそれを聴いて良風美俗、田舎に残れりと感心したといふ意味の文がある。
 小石を道のべの大石の上に積むのが、果して旅人の足を傷めまいとする倫理から出たのであらうか。土地の人がさういつたとて、そのままに受けてよいか。私はそれを宗教的の感情からだと思ふ。東京にしても、地蔵様の足許に小石を積む。目黒のどこかの坂でも、小石で石仏の埋まる程のを見た事がある。人工を経たのでない自然石でも、ただの丸石でも、拝まれる事がある。陸の奥の信夫もぢ摺石なり、佐夜の中山の夜泣石なり、今ならば何でもないごろた石でも、昔はそれを霊ありとしたのであらう。そして石の神様は人の子を守るとも思はれた。道のべにさういふ石があれば、人々はおほかた小石をそなへるらしい。
 私どもが山へゆけば、案内者は道の心おぼえに、大きい石の上に小石を積む。これが賽の神に石を手向けた名残か、どうか知らねど、蔵王山の賽の河原の石積みは、正しく御仏に縁を結ばうとするのであらう。賽の河原といふ所は、蔵王のみか、箱根にもあり、浅間山にもある。日本は火山の多いからでもあらうが、私の狭い山の旅ですら、そこでも此処でも、賽の河原と名のつく焼石原を踏んだ。いや賽の河原は、海べにもある。さういふ所では、大抵、石を積む。私など子どもの時、恐しいので嫌ひであつた地獄絵のからくりでも、「一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為」とか、子どもが石をつむ。無慈悲な鬼がそばからこはす、子どもが泣く。地蔵様が慰めて下さる。
 大きい石の上に石を積むのみか、洞穴などの廻りにも積む。現に蘇峰先生の名となつた阿蘇の火口のほとりに、参詣者たちは岩やら石やらを積み重ねる。これが讚岐に残つてゐる古墳、積石塚などとどういふ関係があるか、私は知らぬ。なにせよ小石をつむやうな所は、里遠からぬ地では、坂路などに多い。従つて之を賽の神に縁ありとする柳田国男氏の説もうなづける。「丘山は卑きを積んで高きをなす」(荘子)だの、「泰山は土石を辞せず、故によくその高きをなす」(管子)だのいふおもひの背景は、何であつたらう。それはすぐ断定もしがたいけれど、山や丘は、その低くなるのを忌む。それで富士などのやうに、山から落ちる砂が夜の間に山にのぼりゆくといふ想もあつたり、石巻山などのやうに、参詣の者は小石を山上に運ぶといふならはしもある。
 昔の村の境に、坂のあたりに土石を運びおくといふのは、そこを一の関とするので、恐らく他し人と他し神とを防いで、越え難からしめようとするのであつたらう。それが山や丘の低くなるのを厭ふ、威力の衰…

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