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芝居と見物
しばいとけんぶつ
副題売笑的舞台への攻撃
ばいしょうてきぶたいへのこうげき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集22」 岩波書店
1990(平成2)年10月8日
初出「帝国大学新聞」1934(昭和9)年3月19日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-10-29 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 現代日本の文化は、いろいろの部門に於て、もつと厳密な批判が加へられなければならぬと思ふが、私は、社会的に観て、最も時代の空気を反映すると考へられる演劇の立場から、この現状の憂ふべき傾向を指摘してみようと思ふ。
 先づ東京だけについて、主なる商業劇場の出し物を調べてみると、「近代の教養ある人々」を楽しませるやうな戯曲を上演してゐることは先づ例外といつてよろしく、これを演ずる俳優のうち、高等教育を受けたといへるほどの者は一人ゐるかゐないかである。
 劇場側は、所謂「高級な作品」を忌避し、それでは客が呼べぬと考へ、客さへ来れば、どんな「愚劣な脚本」でも有難さうに舞台へかける。俳優のうちには、学識は別として相当芸術的感覚を具へたものもゐるから、そんなものを真面目にやる気はせぬといふが、大体無理にでもやらされるやうな制度になつてゐる。
 興行者は、劇場の文化的役割などといふものを念頭におかず、その周囲も彼等を「許し」てゐるから、「趣味の低劣さ」によつて紳士としてのプライドを失ふおそれもなく、単に事業家として成功しさへすれば、鼻を高くしてゐられるのである。
 それなら見物はそれで満足してゐるかといふと、必ずしもさうでない。第一、一興行を欠損なしに打ち通すためには、「連中」といふ制度を設けて、俳優に切符の押し売りをさせ、割引の方法で団体を勧誘し、莫大な広告費を投じ、いはば、「無理矢理に」見物を掻き集めてゐるのであるから、見物の「嗜好」といふやうなものは、明かに知ることができない。
 彼等は劇場に、「何かを求めに」来るのではない。何を与へられても、その時々、感興の起り方が違ふのである。価値批判などする余裕はない。刺激的なものほど、ざわめきが大きいといふだけである。その「ざわめき」の程度によつて、興行者は「当つた」かどうかを判断し、次の出し物を撰ぶ参考にする。それ故、劇評家の批評などは、役者が気にするだけで、興行者はなんとも思つてゐない。
 しかし、興行者も、かういふことは考へてゐる。「当節は、見物が気まぐれで、どんなものを求めてゐるか見当がつかない。われわれは決して、これ以上のものをやらぬとはいはぬ。見物さへ満足してくれれば、どんないいものでもやる」と。
 いいものなら、見物が満足しないわけはないと考へられないこともないが、必ずしも営利といふ立場からはさうは行くまい。一歩譲つて、せめて「文明国の体面を保つ」程度のものをやつてはどんなものであらうか。
 これは今日、興行者に向つていふことは無駄である。見物の方でさういふ意志表示をしさへすればいいのである。換言すれば、観てゐて「恥かしくなる」やうな芝居に向つて、容赦なく忿懣の意を表すべきである。それを悦んで見てゐる連中に、「おや、さうだつたか」と反省させるやうに手段を取るべきである。営業妨害を奨励するやうだが、それは却つて、興…

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