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恋愛といふもの
れんあいというもの
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆29 恋」 作品社
1985(昭和60)年3月25日
入力者渡邉つよし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2000-07-11 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 恋愛は詩、ロマンチツクな詩、しかも決して非現実的な詩ではないのであります。恋愛にも種々あります、幼時の初恋、青年期中年期の恋、その何れもが大部分自分の意識する処は、詩的感激、ロマンチツクな精神慾ではありますが、意識無意識にかゝはらず、その底には厳として、肉体的意慾が横はり、それが流露を遂げさせんとの自然の意志が実に緊密に加勢せられてあります。ゆゑに、恋愛に於いて当事者の意識する処は大部分ロマンチツクな詩的な精神的部分でありながら、実は人類の根本義に深く根ざし最も確実な現実性を有する最も現実的人生行路のところどころに置かれたる詩篇なのであります。
 さて、私はすでに、恋愛の根底に、厳として性慾の横はれるを云ひました。では、恋愛の一分野たる精神意慾、ロマンチツクな詩的感激は必ず肉体慾にのみ支配されてあるべきものであらうか、否、その見解もまた当つたものではない、結局は霊肉一致、それをくりかへして云ふならば、最もロマンチツクなしかも最も現実に即した人生行路の途上に於ける詩篇なのであります。
 また、一見解よりすれば、恋愛はその当事者にのみ恵まれたる性慾の撰択権なのであります。恋愛が一定の対者を追及するのは、とりもなほさずその時期に於ける性慾撰択権内に於ける一つの事業であります。撰択慾を賞揚し追及性を讃美する見地よりすれば、恋愛も一種の人間至上性の発露であります。
 しかし斯う云ひ去り書き終つたならば、非常に簡単な恋愛解釈をもつて尽きることになりますが、以上は根本の概括を一粒子に搾縮した言論の具象に過ぎません。この根本よりして幾多の複雑、異端、多種、多様の実例が生ずるのであります。
 幾多の生きたる実例、または、歴史的の例証は、もはや筆者を俟たれずとも読者諸氏に於いて充分知悉せらるるを信じます。筆者も今年初夏頃の某誌にもはや充分意を尽したつもりの恋愛論を発表しました故、論筆として諸氏に見える余裕のものを多く持ちません。或ひは諸氏にとつて常凡市井の一例ならんも筆者が最近逢遭した或る恋愛者心理を掲げてこの稿をふさぐことにいたします。

 男と女の恋が成り立つてから半年程のちでした。男が朝鮮へ行かなければならなくなりましたのは、男女の哀別離苦の情、目もあてられぬほどのものでありました。しかし、その悲哀にも男女おのづからの差はありました。
 男は、女が男の遠く去つたあとの寂寞、男が遠隔の地で長の月日(男は三ヶ年行つて居なければなりませんでした。)を過す間に、自分に対する恋の心がうすらいで、他に心を移すやうな場合さへ想像しての純粋な慟哭であるのにくらべて、男は、女の純粋な貞操にふかくたのむ処を持ち、ましてその朝鮮行は、男女周囲の圧迫による止むなき結果ではありましたが、男の事業慾の発露の一端にその朝鮮行はふれて居たものでありましたから悲哀のなかにも一縷の希望を持つて居た処に、男…

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