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言葉の魅力
ことばのみりょく
副題――女学校用国語読本のために――
――じょがっこうようこくごとくほんのために――
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集22」 岩波書店
1990(平成2)年10月8日
初出「女子新国文巻十」冨山房、1935(昭和10)年
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-10-26 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 言葉といふものは、書かれる場合と話される場合とで、余程性質が違つて来るものである。
 書かれた言葉、即ち「文章」については、いろいろの研究や模範が示されてゐるが、「語られる言葉」即ち「談話」といふものになると、まだ日本ではそれほど人々の注意をひいてゐない。
 文章の善し悪しは、近頃漸く正しい批判に基いて論じられるやうになつたが、「談話」や「弁舌」の標準は、どうもあやふやで頼りない気がする。
「話上手」とか、「弁が立つ」とかいふのを実際聴いてみると、多くは型にはまつた言葉の羅列で、ほんたうの魅力を感じることは少いといつていゝ。
 文章と同様、「語られる言葉」もまた、単にある限られた思想や感情を伝へるばかりでなく、その「人」を、即ち語り手の年齢、性、教養、環境、国、時代、更にその職業、性格、気分までを現はすものであつて、さういふ意味から、「言葉の芸術」といふものが生れて来る。つまり、文章が文学に繋がるやうに、「語られる言葉」は話術、または雄弁術、殊に演劇の白に繋がるのである。

 ところで、さういふ専門的なことは別にして、日常われわれの使用する言葉についていへば、そこにもやはり文化生活を営むものにとつて、必要な「言葉の訓練」があり、この訓練が個人々々の言葉遣ひ、言葉の調子、言葉の魅力を生むことになるのである。
 随つて、ある人物の使ふ言葉は、どんなに不用意に使はれても、それはその人のいつか身に著けた言葉であつて、肉体に伴ふ表情のやうなものなのである。
 われわれはまづ家庭で最初の言葉を教へられ、次に年齢に応じて、境遇経験を異にする友だちから知らず識らず言葉をうつされ、第三に学校で教科書等を通じて、いはゆる標準語を修得するのである。かうして丁年に達する頃には、ほゞ「その人の言葉」なるものが出来上るのであるが、それから後と雖も、社会に出て、さまざまな影響のもとに言葉の内容・色彩が複雑になり、またそれだけ独特な「味」をもつやうになつて来る。「話をしてみると、その人柄が分る」といふのはつまりかういふわけだからである。

 さて、それなら、どういふ言葉を使ふのが宜しいかといふことになるが、それは今日どういふ人物が理想的な人物かといふ問題と同様、極めて解答のしにくい問題である。こゝで私は、「正しい言葉」と「美しい言葉」とを区別してみようと思ふ。
 正しい言葉遣ひは、誰でもしようと思へばできるのである。文法を習つて、それに従へばいゝわけである。しかし、正しい言葉必ずしも美しい言葉とはいへないところに一つの秘密がある。それと同時に、美しい文章がそのまゝ美しい話し方にならないことにも注意すべきである。現代日本の「口語体」といふ文章は、やはり「書かれるための言葉」であることは誰でも気がついてゐることに相違ない。ほんたうの「語られる言葉」は、もつと日常生活に即した、刻々の感情に裏づ…

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