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方言について
ほうげんについて
作品ID44507
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集22」 岩波書店
1990(平成2)年10月8日
初出「築地座 第二十三号」1934(昭和9)年6月23日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-11-10 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は方言の専門的研究家ではないが、人一倍その魅力に惹きつけられる。十人十色といふ言葉は、人間の個性は個々に色別し得ることを指すに相違ないが、同一国語を使ふ同一国土の中で、地方々々に特有の言語的風貌といふものがあり、それぞれ、その地方に生れ、育ち、住む人々の気風を伝へることに於いて、これくらゐ微妙で、正直なものはない。
 人間といふものは、兎に角、面白いものだ。どんなに単純な性格だといつても、そこには、いろいろの影響が、二重三重に浸み込んでゐて、一見同じ型の気質のうちに、意外な陰翳の相違を発見し、またこれと逆に、どう見ても正反対だと思はれる人物の輪廓を通じて、どことなく共通の感じが迫つて来るやうな場合がある。
 私は嘗て、さういふ見方から、紀州人といふ一文を書いたことがあるが、紀州に限らず、あらゆる地方の方言が、性、年齢、教養、稟質、職業、身分等によつて調味されつつ、なほ厳然として、独特の「あるもの」を保ち、これが風土そのもののやうな印象によつて、人間固有の属性に、一抹の、しかも、甚だ鮮明な縁取りを加へてゐることは、なんと云つても見逃すことはできないのである。
 例を世界の諸国、諸民族にとれば、なほ話が解り易いであらう。英語は英国民の、仏語は仏国民の、露西亜語は露西亜人のと、それぞれ語られる言葉の色調が、直ちに、その民族の風尚気質を帯びてわれわれの耳に響いて来る。厳密に云へば、英国人の感情は、英語を通してでなければ表はし難く、仏国人の生活は、仏蘭西語によらなければ描き出すことが困難なのである。
 さう考へて来ると、ある地方の方言を耳にするといふことは、その地方の山水、料理、風習、女性美に接する如く、われわれの感覚と想像を刺激し、偶々その意味がわからなくても、なんとなく異国的な情趣と、一種素朴な雰囲気を楽しむことができる。
 さて、私の方言讃は、比較の問題にはいらなければならぬが、それは略するとして、それなら、どういふ場合にでも、方言はかゝる魅力を発揮するかといふ疑問について答へねばなるまい。
 近頃東京では、殊に私の住む郊外の住宅地などでは、東京で生れたものなど数へるほどしかなく、自然、朝夕、附近の主婦たちが、声高に子供を叱り、ご用聞きに註文したりしてゐるのを聞くと、それは東京弁と凡そ隔りのある訛りとアクセントだ。が、さうかと云つて、それは私の知る限り、どこの方言でもないのである。どうかすると外国人ではないかと思ふほど、無味乾燥な日本語で、しかも、本人は少しもそんなことは気にとめてゐない。標準語を話してゐるつもりなのであらう。ああ、悲しむべき標準語よと、私は、つくづく思ふことがある。この勢ひで進めば、われわれの周囲で、美しい日本語を聞くことはできなくなるとさへ断言し得る。
 さうかと思ふと、また議会の壇上で、放送局のマイクロフォンを前にして、政治家、学者、官…

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