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日本の新劇
にほんのしんげき
作品ID44514
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集22」 岩波書店
1990(平成2)年10月8日
初出「築地座 第二十五号」1934(昭和9)年11月24日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-11-07 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 現在いろいろな場合に新劇といふ言葉が使はれてをりますが、先日もある機会に、「新劇」とはなんぞやといふ質問が出ましたのに、この答へを当然用意してゐなければならない人々が、実はお互に顔を見合せて苦笑をした次第であります。
 これを「新しい芝居」と云ひ直してみても、その「新しい」といふことが何処までの範囲を指すか問題になります。何時如何なる時代に於ても、新しいといふことはそれ自身に一つの魅力でありますから、多くの人の興味をそゝる上からも、芝居といふものは何等かの意味で新しい趣向を必要とするやうに考へられてをります。極端な場合には、旧いものでも、その旧さによつて世間から忘れられてゐるものなどは、やはり、一種の好奇心によつて、それが「新しい」ものとしての価値を生ずるやうな場合がなくもありません。
 結局、さういふ意味では、芝居の世界に於ても、絶えず「新しい」ものが求められてゐたに相違なく、わが国伝来の歌舞伎劇の如きすら、長い伝統を通じて、ある変り方をして来たのであります。
 ところが、今日、われわれの申す新劇とは、さういふ意味での新しさを指すのではありません。これを一口に申せば、社会的又は文化的方面に於ける日本の近代的更生と歩調を合せて、現代のための、そして現代の生んだ一つの芸術形式が、やはり演劇の上でも、相当の場所を占めなければならぬといふ主張から、過去の演劇の、云はゞ「近代的でない」部分に反撥して、新しい思想、感情、感覚を舞台に盛らうといふ運動を指すのであります。
 たゞしかし、それには順序といふものがあります。最初は、歌舞伎劇自身が、動機は兎も角としてこれを試みました。新派劇もその発生当時に於ては、その名の示す如く、新時代に適応する演劇を目指してゐたのであります。が、それにも拘はらず、遂に、その何れもが、真の「現代劇」となり得なかつた理由は、まあ私が申上げなくても、どなたもおわかりのことゝ思ひます。
 さて、さういふ事情の中で、多くの先駆者たちが、如何にして新しい国劇の樹立を計らうかと苦心惨憺したのでありますが、時あたかも西洋に於ては、例の近代劇運動の後を亨けて様々な演劇の流派が入り乱れてをりました。そこで日本に於ける演劇革新運動は期せずして西洋の近代劇運動と結びつき、西洋劇全体から学ぶべきものと、近代劇の特色として取入れるべきものとの厄介な区別をしなければならなかつた。しかしそれは、その当時としては恐らく誰も考へつかなかつたことでありませう。例へば新しい流行の洋服を着る婦人が自分の体格、姿態、動作にまで気をつけ出したのは極く最近のことであるのを見てもわかります。
 さういふ次第でありますから、今日その当時の所謂「新劇運動」を振り返つてみますと、実は様々な無理があつたのであります。
 先づ第一に、わが国の近代芸術が、西洋に学ぶ外はなかつたといふ事実は、文学美術…

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