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新劇倶楽部創立に際して
しんげきくらぶそうりつにさいして
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集22」 岩波書店
1990(平成2)年10月8日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-11-01 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 非常に漠然とした提議の内容でありましたが、それにも拘はらず大体の趣旨に御賛成の上でありませう、今日、わざわざここへお集り下さいましたことは、私として感謝にたへません。
 実は、今日の集りは、なるべく固苦しい論議をさけて、いはば、お互に顔を知り合ひ、何かしらそこに、同じ仕事にたづさはつてゐる者同士の親しみ、しかも、めいめいが自分の仕事の領域を通じて、幾分でも共通の利害、共通の希望をもち合つてゐることを感じ合ふことができるやう、話を進めたいと思ふのでありますが。
 元来、私は、何事によらず、先頭に立つとか、音頭を取るとかいふことは、その任でないのみならず、性来、甚だ好まないのでありまして、今日の会合の如きも、誰かが提議をして下されば、それに越したことはなかつたのであります。
 ただ、事態はやや、それを待つことを許さないといふ気がいたしました。
 と云ひますのは、御承知の通り、最近、新劇行詰りの声が聞え、その対策について、各方面でいろいろな論議が交はされてをりますが、その論議たるや、多くは何等かの主張に基く一個の芸術論でありまして、それは固より結構であるとしても、それだけでは、各人各個の仕事を特色づけることにはなりませうが、一般演劇界の注意と関心を惹くに足りないやうに思はれます。仮にまた、もつと根本の問題について誰かの意見が発表されたとしましても、これまた多くは、単に批評的であるか、又は、消極的助言にすぎませんから、「なるほどそれに違ひない」と云つて、すまされてゐるやうな状態であります。
 殊に、最も、注意すべきは、それらの論議そのものに於て、われわれは、真に、相手の「精神」を汲み取つてゐるかどうかといふことです。
 お互に、「こんなことは云はなくてもわかつてゐる」と思つて、その点には触れずにゐることが、案外、それを云はないために、重点のおきどころを誤り解されてゐるといふ場合が多いと思ひます。われわれ新劇にたづさはる者ならば、当然、解り合つてゐなければならぬことが、どうしたわけか、さう行つてゐないといふ事実を、皆さんはお気づきになりませんか。この原因は、決して、めいめいの芸術論に、それぞれ相容れないものがあるといふ、そんなところにあるのではありません。要するに、芸術家は孤独であるといふ悲壮なプライドが、あまりに今日までのわれわれを支配し、それよりも、日本の新劇界は、芸術家を育て上げるに適した土壌であるかどうかをやや忘れてゐたところにあるのではないかと、私は考へます。言ひ換へれば、今日までのわれわれは、スタンドをもたない競技者の形であります。同一のコンディションで勝負を争ふことができない状態でありました。
 まだ少し、云ひ方が足りないやうです。
 元来新劇といふ言葉の意味についてさへ、われわれは共通の観念をもつてゐないのではないでせうか。ある者は、歌舞伎劇でも新派…

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