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巴里で観たイプセン劇
パリでみたイプセンげき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集21」 岩波書店
1990(平成2)年7月9日
初出「近代劇全集第一巻 月報第十二号」第一書房、1928(昭和3)年5月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-07-17 / 2016-05-12
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は夙に近代劇の研究はイプセンから始めなければならぬと教えられてゐた。然るに私は、日本を離れるまで、二篇の邦訳を手にしただけである。巴里に来て、近所の貸本屋から、プロゾオルといふ人の仏訳を借りて来て、毎日読み耽つた。あれでたしかイプセンの作品は全部読んだ筈である。
 これから実際の舞台を観なければならぬ。それには幸ひルュニェ・ボオのメエゾン・ド・ルウヴル(創作の家)がある。スカンヂナヴイヤの戯曲を殆ど専門にと云つてもいいぐらゐ演つてゐる劇場である、私は先づそこで「人形の家」を観た。
 スュザンヌ・デプレ夫人のノラは私の空想とは似てもつかないものだつた。私の空想とはどんなものかといふと、それは、ただ戯曲を読んだ時の印象からのみ得た空想ではなくて、たしか松井須磨子の扮したノラの記憶がその土台になつてゐたのである。
 デプレ夫人は、これこそ女優には珍しい質朴な顔立で、その上、これはまた女とも思へぬほどガッシリしたからだつきの……やはり、女である。名優が常にもつてゐるあの深い眼ざしが、彼女の特殊な才能を物語つてはゐるがどう見ても「小鳥」の柄ではない。
 それがどうです、夫ヘルメルの傍に心持首をかしげて立つた彼女は、正しく「彼の人形」であり、子供と戯れながら机の下から首をつき出した彼女は、たとへその睫に一滴の涙が光つてゐなくつても、それはたしかに「悩みが美しくした女」を描き出してゐたのです。
 私は此の芝居を観て、多くの批評家が云ふところの「目覚めたる婦人」について、何等問題とすべきものを発見しなかつたかはりに、却つて、此処にこそ「永遠の女性」そのものの姿を見た。これは皮肉でもなんでもなく此の劇を佛蘭西流に演出すれば、さうするのが自然のやうに思はれた。
 一体にイプセンの戯曲は、多く悲劇的外貌を備へた喜劇であり、その喜劇的要素は、主要人物を特種な性格なるが故に英雄化する常識的解釈によつて完全に葬り去られる場合が多い。
 私がコメディイ・フランセエズで観た「人民の敵」も、その意味で、最も此の戯曲の喜劇的特質を活かしてゐたと記憶する。主人公たるストックマンには、私の好きなフェロオディイが扮した。これはまたお誂へ向きな温泉場医者である。頭が大きくて、唇が厚くて、肩が怒つて、膝が曲つてゐて、お喋べりで、感情家で、無鉄砲で、一国者で……そして、それはイプセン自身なのである。自分を主人公にして悲劇を書くほどおめでたい作者は、西洋にはそんなにゐないやうである。
 ピトエフ一座の「幽霊」を観たのはそれから後である。ルメエトルが以て不可解なりとした「北方の女」は、私には存外うなづけるのであるが、此の芝居は役者が下手で少々観づらかつた。ピトエフのオスワルドはただ陰惨な顔をしてゐるだけだつた。尤も此の戯曲などは、所謂喜劇の部類にははひらないやうである。
 その次に、コラ・ラパルスリー夫人…

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