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サン・ジョルジュ・ド・ブウエリエについて
サン・ジョルジュ・ド・ブウエリエについて
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集21」 岩波書店
1990(平成2)年7月9日
初出「近代劇全集第二十三巻」第一書房、1928(昭和3)年6月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-07-17 / 2016-05-12
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「わたくしは、ただ、自分の欲求に従ひ、只管霊感に耳を傾けて、劇作の筆を取り始めました。流行の誤れる趣味、因襲の命ずる手段術策はこれを顧みる気にさへならなかつたのです。わたくしは、ただ、人生研究に憂身を※[#「宀かんむり/婁」、72-4]す一介の徒弟でありました。それは光と影とを併せ有ち、その中に神秘の姿を織り込んでゐるいとも弱き人生であります。わたくしは、まだ名も知らない、誰も十分に究めたことのない、まことに危ふい道を進んだのです。」
 これは、ブウエリエが、批評家ブリツソンに宛てた献呈語の一節である。また、
「此のささやかな戯曲――そこでは、愛と死との運命が奇怪な戯れを演じてゐるこの戯曲は、ジヤック・ルウシェ君の手によつて、美術座開場初興行の舞台にかけられた。……ジヤック・ルウシェ君は、主として舞台装置の芸術的革新を唱導した。此の「子供の謝肉祭」によつて、極く僅かの様式が、最も単純な外貌に如何に美を添へ得るかを人々は知つたのである。」
 と、彼は、此の戯曲の跋文に述べてゐる。彼は、なほ、その役々の出来映えについて、出演俳優の悉くに感謝の意を表した後、再び此の戯曲について自ら語つてゐる。曰く、
「此の戯曲が――しかも何等企むところなき此の戯曲が受けたかくも熱烈な、また意外にもかく懇篤なる世評を想ふとき、わたくしは、真を求むる心が常にある反響を呼ぶといふ一事を信じないわけにいかない。わたくしは真実を写す作品を書いた。公衆はわたくしがその中に籠めた大なる感動の叫びを聞いたのだ。しかも、わたくしは、その叫びの、あまりに高からんことを恐れたのである。凡そ、芸術の効果は、控え目といふことにある。わたくしは、人生を包まず露はすところの演劇を愛するが、その中で、作者がその思想を絶叫する演劇を好まない……云々」
 作者が、自著が、自ら何を云はうと、それを言葉通り享け容れることは危険であるが、以上の文字をここに抜いた理由は、これだけの中に、戯曲家ブウエリエの面目が躍如としてゐるからである。
 彼は今年幾歳になるか知らぬが、十六の時から詩を作り、二十の頃初めて「無冠の帝王」といふ戯曲を書いた。彼の云ふところに従へば、その前にも戯曲を書いたが、それは「上演不可能」なもので、題は、「新しきキリストの悲劇」とつけたさうである。「無冠の帝王」は千九百六年に上演されてゐる。
 彼は何よりも単純である。その単純さは、しかし、一種信仰に似た力と共に、作品にかのお伽噺のもつ神秘さを与へ、時によると、彼自ら主張する如く、最も惨めな現実の中に崇高な夢を、最も平凡な人間の中に力強い生命を吹き込むことに成功するのである。
 兎も角、「子供の謝肉祭」一篇を読んで先づ感じることは、彼が芸術家である前に、最も善良な人間であるといふことである。一体、あまりに善良であるといふことは、動もすると退屈である。これは…

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